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清藤先生 [中庸]

私のイラストの先生(清藤宏)死去の知らせのハガキが届きました。
奥さんの文章で、5月20日の検査で末期の肺がんとわかり、6月28日に亡くなったということです。(享年83歳)

最後に会ったのは、去年の11月に横浜馬車道のJIC展に行った時で、会うなり、
「待ってたのよぉ」
と、いつもの女性口調で私を迎えました。
というのも、その頃ちょうど某小学校でのいじめの動画が取り沙汰されていて、清藤先生もいささか呆れていて、学校の現場を知る私にひとこと言ってもらいたいというのもあったからです。
このことに限らず、かなり以前から先生は箍が外れた現代の日本社会を嘆いていて、私がここで使わせていただいた表現もいくつかあります。

「人間おかしくなっているから…、こんなに媚びてちゃねえー」
「義」に生きることを忘れて損得勘定や自己保身に走る、「お客様は神様」を履き違えて自ら進んでカネの奴隷になる、要するに「魂を売ること」を良しとする風潮が蔓延しているのとを先生はひどく憂い、腹を立てていました。

「投票に行かないのも一つの選挙なのよ」
自分は政治に関心を持ってやることをやっているんだ、選挙に行かない者は文句が言えない、と言って勝手に決めつけて自分に強みをつくっている人が増えたということ、これも自己保身の一つで、「おかしいことをおかしい」と言わずに守りに入ってしまった日本人に対する先生の寸鉄と言えるでしょう。

そういうわけで、先生自身は絵やイラストや絵本を通じて、子どもたちの想像力を育てようと、制作に励んでいたのです。
また、同じ「義に生きる人間」と認めて私に接してくれていたのです。
実は、一昨年の11月も同じ展覧会の同じ会場に行きました。
先生が、
「ボク、何歳になったと思う?」
と聞くので、私はとっさに、
「81ですか」
と答えました。
まあ、あらかじめ計算していたのですぐ答えられたのですが、正直あと何年かなという心配はありました。
先生自身も同じことを思っていたのでしょう。
その時は、私の3作目の著書を先生に贈呈し、私も先生の最新の著作をいただきました。

seitouhiroshi(hyoushi).jpg

ここで、清藤先生の昔のイラストの先品をいくつか勝手に紹介させていただきます。
古い人は見たことがあるかもしれません。

seitouhiroshi koruto.jpg
seitouhiroshi yamatesen.jpg
seitouhiroshi tora.jpg
seitouhiroshi kodomonokuni(2).jpg
seitouhiroshi igaku.jpg

私が清藤先生と出会ったのは、26年前の10月。
四谷にあったJICアートスクールに入った時で、その時先生は今の私とだいたい同じ歳でした。
私を含めて学生たちに向かって、
「もう少し待ってね」
と言いました。
バブルがはじけて3年が経った頃で、10年もすれば景気が回復して、イラストの仕事も来ると思ったからです。
周知のように、あいにく景気は回復せず、失われた10年が失われた30年になってしまいました。
そうしているうちに、手描きの絵は機械の絵にとって代わられ、特に私が目指していた図鑑や科学雑誌の手描きの挿絵は需要も価値もなくなりました。
結果、仕事になったのは、教育書の表紙2作と私製の絵ハガキ一枚だけです。

実は私が清藤先生に会ったのは、26年前ではなく、38年前、私が大学生の頃だったのです。
大学のサークル「美術集団」の属していたのですが、駿河台の画廊で展示会を開いていたある時、中年から初老のアインシュタインのような風貌の人が入ってきて、展示された絵を一回りして眺めて、最後に出入り口付近に掛けてある私の自画像を2秒ほど注視した後、関心なさそうに目を切って、名前を書かずに出ていきました。
それが先生に似ていたので、私がそれを先生に言ったところ、どうも本人らしいことが判明したのです。
当時先生はあの東京デザイナー学院で教えていて、時折近くの画廊に見学に行くという習慣があったらしいのです。
そんな深い縁があるくらいなのですから、先生の意志を継いで、私も少なくともあと一つ、厳しい状況ではありますが、絵と文章の作品を世に出したいと思っています。


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