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温暖化 [霊的存在]

2か月空いてしまいました。
何かあったんじゃないか(?)、あるいは忙しいんじゃないか(?)と思われるかもしれません。
まあ、ある意味忙しいとも言えますが、何もしていません。
暑くて何もできなかったのです。
それに、仕事も意外と過密で、派遣講師の身でありながら今年は種類が多く予習も必要で採点などの雑用もあります。(ニコヨン風情が何をぬかすか⁈)
勤務の日は、行きも帰りも炎天下のアスファルトの上を歩き、帰りに夕食と次の日の朝のパンや果物、紙類、仏壇の花など足りなくなった物などの買い物をして、定期的にクリーニング屋に寄ったり、訪問医の処方箋を薬局に持っていったりと、毎日のように重い荷物を肩にかけて帰宅します。
それも、マスク着用の上ですから。
暑さを癒すために入浴後の夕食の時にビールを飲むので、体がだるくなって夜はほとんど活動できなかったというのが事実です。(又熱又累!)

母親の状態が頭も体もますます老化に向かっていて、常に動悸とめまいを訴え、1分も経たないうちにまた同じことを聞くので、私が声を荒げると、それに対して怒ったり嘆いたりして、私は心身ともにくたびれ果てています。
いつもの保険屋さんから言われました。
「それで鬱になった人がいますから、あまり無理をしないでくださいね」
「お姉さんに少し助けてもらってはどうですか?」
私も、
「ええ。と言っても姉は普段仕事に行っていますから、日曜日に来ることが多いので、その時に代わりに食事の面倒を見てもらって自分は自由に外出するんです」
というのが精一杯なのです。

話を暑さに絞ります。
母親は洗濯機は使えるものの、運べないので、私が洗濯物をカゴに入れて2階に持って行きます。
ところが夜ベランダに干そうと思っても、窓を開ければ即熱風が吹き込んでくるので躊躇し、遅くなってから、決死の覚悟でベランダに出て干すわけです。
結果的に寝る前にまたジトッとした汗が噴き出て、とりあえずエアコンで乾かし、翌朝シャワーで洗い流すことになります。

今年はついにエアコンをつけっぱなしで寝る習慣がついてしまいました。
もちろん去年も何日かありましたが、今年は1週間ほど昼も夜もぶっ通しでつけっぱなしでした。(みなさんはどうでしょうか?)

朝出勤前に、2階のエアコンをわざと消さないのというのは、一つには1階に居る母親の熱中症対策であって、暑さを感じない母親が1階のエアコンを消しても、2階から涼しい空気が下りてくるので、私が外にいる間もさほど心配が要らないからです。

現に、姉の主人の母親が熱中症で運ばれて、以後体調が戻らず、そのまま施設に入ってしまいました。〔遺族年金受給のため入れるだけの費用があるからです。私の母の場合は、施設に入るだけの費用がないので、はじめからその選択肢がありません〕

ここで、地球温暖化と人間による対策について考えてみましょう。
みなさんもご存じのように、エアコンから出る冷気と室外機から出る暖気を足せば、差し引きで暖気が勝り、近所の家、いや全国の家がそれをやれば当然全体として地球が温暖化するわけです。
それでも、その暑さに負けないようにと、またエアコンをつける悪循環です。
じゃあ、そうかと言って自分がやめたら自分が熱中症になるだけなので、やむなくつけ続けることになります。
振り返ればそれはどんなに言い張ってもエゴイズムによるものであり、「銃には銃」や「核兵器には核兵器」と同じで、結局私も人類の破滅に助力していることに変わりありません。
苟もスピリチュアリズム普及を勝手に「責務」とする私としては、何らかの形で人々に働きかけなければなりません。
消極的ではありますが、少なくともエアコンの必要がない所へ移住してこの霊的不正から脱しなければならないはずです。
それに、人類の存続だけの問題なのだろうかと考えてしまいます。
そう言うと、
「えっ?それってエアコンどうこうの問題なの?」
「地球温暖化の原因は、おもに森林伐採や化石燃料の消費や牛のゲップなどによる二酸化炭素の排出であって、エアコンの影響なんて微々たるもんだよ」
と言う人もいると思います。
もしかするとそうかもしれません。
でも、それは「感覚(快楽・影)だけを追う地上物質的な欲望」に変わりはないのであって、私たち一人ひとりの課題でもあります。
まず自分にできることは何かと考えます。

一方で、以前から世界中の要人たちが地球温暖化対策を打ち立てています。
たとえば今、水素エネルギーが使用され始めています。
でもどうでしょう?
うまくいくと思いますか?
うまくいってもいかなくても、その目的が専ら「人類存続」あるいは「人類にとっての住みやすさ」ではありませんか?
それに、我々人類の生活に影響がないとしたら、真面目に考えるでしょうか?
もしかすると対策などまったく考えないのではないでしょうか?
もしそうなら、やはりそれは「エゴイズム」であって、
「死んだら自分には関係ない」
と言う唯物主義者や、
「もうすぐ涼しくなるから(忘れる)」
と言うどこかの大統領とあまり変わらないでしょう。
また、唯物論者でなくても、
「死んでも生まれ変わるかもしれないから考える」
というのは同じくエゴに変わりありません。
現に私たちも、秋が来れば一時的に忘れて、その場しのぎの安堵を得ているのではないでしょうか?

もちろん、未来の地球が、人が住めないほど暑いのなら、生まれて来ないのだから、問題ないでしょうし、自然科学的に言って、いずれ地球上の人類は絶滅するでしょうし、地球自体も無くなります。
スピリチュアル的に言っても、その頃は他の天体に生まれる時なのでしょう。
また、修行者にとって、転生した地球が暑くて辛うじて住めるほどであれば、
「何のカルマがあってこんな環境に生まれて来なければならなかったのか?」
と(今もそうですけれど)人生を振り返り受け止めるだけのことです。

結局、地上にいる間、人間の都合ひいては個人の都合で思考し行動しているということです。
そうかと言って、「地球にやさしく」とか「地球を労わる」とか言うと、「何様だ⁈」となるでしょう。
では温暖化対策の目的はいったい何でしょうか?

私が先ほど勢いよく言った「責務」とはいったい何なのか(?)と自分で反省せざるを得ません。

ひとつ気になることがあります。
自分とそれ以外(人類とそれ以外)を分けて考えているのではないか(?)ということです。
そうすると、すべてが「自分に関係あるから」とか「自分に返ってくるから」という発想になってしまいます。

しかしここで、
「自分と自分以外は一体だ」(実際にその境地に達しなくても)

とするとどうでしょうか?
自分の都合による思考や行動がすべて自動的に消えます。
たとえば、自分の身体が火照ったときは、冷やすとか水分を取ったりして調節を図ることでしょう。
でもそれは、「自分に関係あるから」とか「自分に返ってくるから」という理由ではありません。
一体なのですから。

エドガー・ケイシーのリーディングに、
「インドの修行者は、自己実現に終始し、愛がない」
と、欠点を指摘したものがあります。
スピリチュアリズムでは、「カルマの解消」のほかに「利他業」があります。
それも同じように考えることができます。
以前も取り上げましたが、キリスト教ヒューマニズムにおける「霊長として地球を管理する」ということも、人間を異物と見るのではなく、一体だという前提で表現していると捉えれば、充分理解できると思います。

そう捉えれば、地球温暖化に対する一人ひとりの計らいも、けっして烏滸がましいことではないはずです。
私はその中の一つの「因子」として、このような活動を通して調和を図っているだけです。

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