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悪平等1⃣(死刑制度) [中庸]

少し前にネットで、死刑制度について投稿した人(常連)がいました。
「国家権力なら何をしてもいいのか?」
と、はじめは(珍しく)真っ当な問い掛けでした。
もともと死刑制度の是非は、罪に対して「死」をもって償うことが正当かどうかを問うものであり、刑の「重さ」の問題です。
ところが、この投稿に対する返信が増え、
「死刑は殺人ではない」
などの強い批判が相次ぐことで、投稿者はつい「ボロ」を出してしまいました。

投稿者:「国家が人々に『してはいけない』と言っていることを、自分がするのは矛盾ではないのか?」〔*〕

もちろんこれは「死刑は殺人である」を前提にした論理のすり替えですけれど。
これも私からすれば、
「《はじめから偉い人》がいてはいけない」〔⁂〕
という左翼思想とか民主主義病の思考法で、悪平等の一つです。(★)

私は衝動的に、
「『禁錮』は『監禁』にならないのですか?」
「してはいけないと人に言っていることを自分がするのがおかしいと言うのなら、すべての受刑者を即刻開放するべきです」
と返信しようとしたのですが、この投稿者は上の例からもわかるように、いつもピントがずれたことを言う人なのでやめました。
でも、どうしたことか(私と同じ理由か?)、他の投稿者はだれも私が言おうとしたことを返信しませんでした。
また、はじめから偉い人がいなければ社会は成り立たないということを言う人もいませんでした。(あくまで終始一貫、死刑と殺人の違いを訴えるだけでした)

〔*〕私が大学生の頃、TVである芸能人司会者が、死刑制度反対を訴えるときに、
「死刑を執行する側も殺人を犯しているのだから」
と声を張り上げて言いました。
私はたまらなく違和感を覚えたので、それを大学の友人に言ったところ、真剣な面持ちで、「詭弁だ」
と静かに答えました。
〔⁂〕この件の省察からもわかると思いますが、はじめから偉い人がいなければ社会は成り立ちません。
「落差」がないと社会はダメ。
これは光も闇も両方認めていた古い日本人にとっては「当たり前」のことです。
この落差がなくなったおかげで日本の学校がどういうことになっているか、教員をやってみれば日本の病が肌で感じ取れます。
「言うことを聞いてほしければ、私たちに尊敬されるような教師になってください」
(また報道などで)「信頼関係が出来ている教師に限っては体罰をしてもいい」・・・・・・
一見もっともなようですが、『詭弁』です。
どこまでも権限は生徒側にあるということです。
肝心なことを付け加えると、今の日本人は「落差(折り目)」が刷り込まれていないのではなく、「平等(=善)」が刷り込まれているのです。

★今後、『日月神示』の高級霊が使う「悪平等」という言葉を幾度か使わせていただきますが、理解していただくためには補足が必要だと思われます。
悪平等の【悪】は、地上の「善(小善・偽善)悪」の〈悪〉ではなく、超越(止揚)する真の霊的な【善】に対する霊的な【悪】です。
水平ではなく垂直(鉛直)です。
けっして、「地上では『差別(区別)が善で、平等(公平)が悪の場合』があって、そのときの『平等』だ」という意味ではありません。
前々回に取り上げた例の中で、地上においては、「生存・生誕〈善〉死滅・死去〈悪〉」とすることで秩序を保っていると言いましたが、それは仮のもの、方便であり、一方的盲目的に善を追求すれば幸福と平和を得られるというものではありません。
同様に、もし仮に地上において、「平等〈善〉差別〈悪〉」とすることで秩序を保つとしても、〈悪〉とされる差別を認めずに一面的に地上の〈善〉とされる平等を追求することで、幸福や平和をもたらすことはありません。〔一体なのですから(即非、陰陽)〕
「ミロクの道は〈悪〉を抱き参らせてこそ進む」
つまり、高級霊が「悪平等」と言っているのは、「差別平等」という地上の直線の平等の延長を一方的かつ盲目的に追求することです。
一般に「霊的な【悪】」とは、地上にへばり付くことです。

☆前回も言いましたが、私はこのところ、世間があまりにも地上的な思考に満ちていることに嫌気がさしていて、もう地球とオサラバしたいくらいです。(異星人、故郷へ帰る?)
これらの話題は、私がいくらここで真摯に向かい合ったうえで訴えても、人気はありません。
関心がないとか、考えるのも嫌だとか、聞くのも鬱陶しいとか、いろいろあるでしょう。
それは重々承知です。
ともあれ1割の少数派の叫びを聞いてください。
内容はこれまでと変わりませんけど、次回、次々回は一気に行きます。

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