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思考停止 [中庸]

日本の在り方に関して、ある識者が、
「核の傘下に入って思考停止するよりは云々」
と言っていました。
同じく、宗教において、大きな組織に属して思考停止することは、「楽」になって救われたような気になりますが、それは地上において「肉体」が救われるだけであって、霊的に救われるわけではありません。
肉的にも霊的にも、『エジプト』から脱出しなければ明日はありません。

【ネットのニュース1⃣】
『アメリカ・ニューヨークの国連本部に大きな足音が近づき、現れたのは、絶滅したはずの恐竜。
これは、国連(COP)が制作した動画。
恐竜は、真っすぐに1人の男性の前へ進み、食べてしまうのかと思いきや、「大丈夫か? ちょっと待った方がいい?」と尋ね、男性が首を横に振ると、恐竜は壇上へ。
何を訴えるのか。
恐竜「皆さん、よく聞いて。人類は自ら絶滅する気なのか。皆さんは気候災害の責任者なのに、化石燃料に毎年巨額の補助金を出している」
気候変動対策をもっと真剣に行うべきだと力説。
「絶滅に向かうなんて、ばかげている」と訴えた。
最後に「今やるか、やらないか」というメッセージ。』【終】

国連が誰に対して言っているのかは定かではありませんが、「本当に考えているのか?」を問い質しています。
(もっとも、「人類存続」だけを問題にして「解決」を図るなら、それもエゴイズムではないでしょうか?)
(そうではなく、万物の霊長として、地球全体を管理し、「健全な状態」に持っていく、すなわち「中庸」を図るというのならわかります)

しかし一方で、国連自体が「本当に考えているのか?」と思わせるものがあるわけです。
再三取り上げるSDGsです。
SDGsは「持続可能な開発目標」と謳っています。
それではみなさん、これらの目標は「達成可能」でしょうか?
私は、達成しないから「持続可能」と言っているような気がしてならないのです。
以前にも言ったように、「ジェンダーフリー」と「貧困をなくすこと」はどう考えても両立しません。

【ネットのニュース2⃣】
《人口減解消に男性所得増を 全国市長会長の相馬市長》
『全国市長会長の立谷秀清・福島県相馬市長(70)が、来賓として出席した連合福島の定期大会で「女性には悪いが、男性の所得を上げないと人口(減少)問題は解消しない」と述べたことが29日、分かった。男女間の賃金格差を容認したとも取れる発言で、批判が出そうだ。
 定期大会は28日に福島市で開催。来賓あいさつをした立谷氏は「男性の婚姻率と年収が比例している。女性が結婚しようとしない。男性の年収が最大の問題だ」と持論を述べた。』【終】

「あれっ? これって少子化や人口減少の問題じゃないの?」
と思われるかもしれません。
そうですが、ともかくこの市長の言っていることは『揺るぎない事実』です。
そのためか、SDGsには「少子化や人口減少問題」の項目がありません。(もちろん「結婚して家庭を築く」という目標はありません)
「ジェンダーフリー」と両立しないことが分かりきっているからでしょう。(そこがSDGsの欺瞞です)
でも、それがどうして貧困につながるのでしょうか?
まず、働く人口が2倍になれば、1人当たりの収入の価値が半減します。
その時点で、みな貧困です。
そうは言っても、所詮、男は「寄生虫」ですから、共稼ぎを条件としてでも結婚して女を得ようとします。
ところが、女は「一人前」なので、生活に困らなければ男を必要としません。
男からすれば、結婚できないということは、飲食が出来ないに等しく、「金銭的な理由で生理的に欲することが出来ない」わけですから、まさしく「貧困」なのです。

今世紀中には日本の人口が半減すると言われています。
投資家からすれば、人口が減るような国に投資しません。
それがわかっているので現に投資は外国のようです。
よってその点からしても日本の経済発展の見込みはありません。
繰り返しますが、要人たちは本当に考えているのでしょうか?

実は先日、例の教会に通う友人たちと会食をしたときに、私はこのことを言ったのですが、友人は構えていたかのように言いました。
「正論は通らないんだよ」
「聖書にそう書いてあるんだから」(また受け売りか?)
そして、聖書に書いてあるように、「蛇のようにずる賢く(誤訳)生きよ」を実践するのです。
これが「考えることが苦手だから信じるしかない」と言う盲信者の典型的な末路(思考停止)です。
私もすかさず答えました。
「まあ、いつの世もそうだよ」
「じゃあ、社会のこととか人生のことを考えたり議論するなんて、無駄だからやめたほうがいいと言うの?」
「なら、なんで選挙に行くの?」

正論が通らないから正論を言うのをやめるとするなら、間違ったことを推し進めることになります。
既述のように、私の考えているようなことを考えているとか関心がある人は、1割程度の少数派であって、世間では通らないことは分かりきっているのです。
〔ネットでコメントすると、賛同20%〜30%・反対70%~80%〕
しかしそうであっても、聖人や賢人たちをはじめ、「義に生きる人たち」はそれを承知で活動を続けメッセージを届けます。
なぜかと言えば、大衆に理解を求めるのではなく、要人たちや知識人たちなど一部の人たちの「思考停止」を阻むためです。
一部の人でいいのです。

実際その友人は、日本の人口減の話をしたときに、
「河合教授が言う《緩やかな縮小》をせずに、国の経済力維持のために女性や我々の世代が老人になって駆り出されるようなことが定着すれば、その下の世代はもっと結婚しなくなって急激に人口が減ることになる」
に対して、
「オレは仕事があれば歳とっても働く」
「下の世代のことなんか知ったことじゃない」
と、本音を漏らしました。
(『蛇のようにずる賢く生きよ』という聖書の誤訳が彼の思考停止を後押ししてくれているのです)
(「未来の日本に生まれて来ないとも限らないのに」と、エゴイズムをくすぐってもいいのですが)
私はただ、
「うん、だからそうなっちゃうでしょ?」
とだけ言いました。
以前にも言いましたが、私も「人が減ること自体」はさほど気にしません。
それはあくまで結果であって、すでに現在の時点で、エゴイズムすなわち「義」がないこと、とりもなおさず、神の心に反している(霊的病)と言いたいのです。

要するに、彼にとって幸福とは自分の「好都合」であり、社会や人間の「義」は幸福ではないのです。
(みなさんは、選挙において、自分の都合(損得)だけで決めていないでしょうか?)

彼は既述の通り、「人智は取るに足らないもの」と教会から刷り込まれた人で、知性を排除しようとして、一緒に「理性」まで捨ててしまっているのです。
そのため、哲学を白か黒かの「思想」だと誤解して排し、世の中のことは神に丸投げで、自分は祈るだけです。
これはまさに「思考停止」のメカニズムであり、悪魔の誘惑、教会組織の欺瞞です。
さらにもし、その「思考停止」を伝道・布教することが「義」であるとして活動するならば、それこそ私がここで再三取り上げている宗教団体に蔓延るあらゆる「盲信」であって、一生をかけても撲滅するべきものです。

自分のエゴが消えないことを自らの理性によって知ることが道であり、それが神仏に帰依する(弥陀の大船に乗る)ことに繋がるわけであって、その境地に至るまでの『理性による活動(省察)』を伝道するのが、本当の在り方です。
「理性による活動を止めさせること」すなわち「思考停止」を伝道することは、霊的に間違いなのです。

ネットの『哲学カフェ』で、ある人が投稿したものがあります。
ソクラテスが処刑された理由は、
① 神を信じなかった
② 青少年を戸惑わせた
と言われていると。
もちろん今となっては真相は明らかではありませんが、私に言わせれば、「神を信じなかった」というのは、世に蔓延る「神盲信」の原因である「思考停止」を止めさせるべく若者に問いかけて省察を促したということです。
思考すれば、当然戸惑います。
口幅ったい言い方ですが、私もそういう意味で同じ志を持つ人間であり、小規模ながら何度か処分された身なのでわかります。

「思考停止」を撲滅することが霊的に生きる人間の活動と言えます。

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