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唯物論者の闇(改) [中庸]

「自我(霊も神も)は脳の産物だ」とする唯物論者が後を絶たないので、堪りかねて前回、ここでもネットでも実在論の誤謬を徹底的に指摘しましたが、それでもなお食い下がる唯物論者がいるのです。
「脳の状態はその人の行動や性格に関係する」
というように。
まるで、脳が先に出来てその人が作られるという「因果関係」であるかのようです。
まったく絶対空間なる「顛倒妄想」から抜けられていません。
脳と行動は対応関係であり、脳で行動を説明はできます。
しかし、脳が自我(霊)を生むわけではありません。

自分が自分だという顕在意識は、記憶で成り立っています。
どこで生まれ育って、どういう経験をして、それによって他の人ではない自分は作られます。
境遇はたしかに、肉体の場所や時代に大いに関係します。
なので、かりにもし、自分が翌日突然他の誰かになったとしても、自分は以前からずっとその人だと思っていることでしょう。
ではなぜ今の自分はこの自分なのでしょうか?
それとも、自分の肉体や脳を構成する炭素原子や酸素原子に自分の名前でも付いているのでしょうか?

脳と人のあり方は、音楽に喩えれば、楽譜と楽曲の関係です。
楽譜があっても、それだけでは曲は流れません。
演奏者がいて、演奏して初めて曲が成立するのです。
たしかに楽譜でその曲を説明はできます。
しかし、楽譜が音楽を生むわけではけっしてありません。(逆も然り)
また、楽譜が演奏者を生むわけではありません。(お互いに選ぶことはあっても)
楽譜と楽曲はあくまで対応関係であって、因果関係ではありません。
そして、演奏者はそれらに関係なく、はじめから独立して存在するのです。
楽譜を脳に、楽曲を人の活動に、演奏者を自我(霊)に置き換えるとわかると思います。

以前から自然科学では、
「宇宙が開闢してから今に至るまで」
をともあれ説明できるけれど、
「宇宙がどうして在るのか」
は説明できないと言われています。
ヴィットゲンシュタイン流に言えば、
「宇宙がどのようであるか(在り方)が神秘的なのではない。宇宙が在ること自体が神秘的なのだ」
そこでさらに、「世界とは自分の世界である」を組み合わせると、
「自分がどのようであるか(在り方)が神秘的なのではない。自分がいること自体が神秘的なのだ」
となります。

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