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信仰=洗脳? [中庸]

幸福の国ブータン王国の子供たちに、日本における「いじめ」の事実を伝えると、
「そんなことをすれば、自分が幸せになれない」
と、驚いたように言うのです。
もしかすると、日本人の多数派は、
「それは生まれた時から仏教が心身に刻み込まれているからだ」
という為政者による「刷り込み」または信仰の[強要」を理由にするかもしれません。
とりわけ実在論者の中の唯物論者に言わせると、宗教においては、
「信仰=洗脳」
と決めて、あたかも、自分たち宗教に無縁の人間こそがまっさらで「健全」であるかのように思い込むわけです。

そこで私は、数か月前、ネットにおけるその手の実在論者の「信仰=洗脳?」という問題提示に対して、遠回しに応えたのです。
《現代人のほとんどは、生まれた時から『幸福=社会的成功』と刷り込まれています。もしそれに疑問を抱かないならば、すなわちベリアル教というカルト教に洗脳されているということです。
そういう人が宗教団体に入れば、間違いなく『信仰=洗脳』となります。
でも、もしそういった地上的な執著を哲学的省察によって超越(止揚)することが出来れば、それがそのまま真の信仰に繋がります。
そういう人が宗教団体に入っても、洗脳されることはありません。
というより、宗教そのものは不要になるでしょう。》

日本のみなさんに問いますが、「自分は健全な思考をしているから危険はない」と思っているでしょうか?
もしや、「いじめ」に対して、
「少なくともいじめる側は、征服感と優越感に満たされて幸福を『感じる』」
などと言うのでしょうか?
いくらブータン王国でも、悪やエゴがないわけではないでしょう。
ただそれをどこかの先進国のように地上の押し合い引き合いで解決することで幸福を得られると思っていないはずであって、中庸によって推進力を上に引き上げて幸福を得ているのです。

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