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愛国心 [霊的存在]

また朝のテレビで思ったことです。
D・キーン氏は亡くなる前、日本の問題点と愛国心について語っていたそうです。
「愛国心とは、自分の国の問題点を指摘し、改善することだ」
というような内容でした。
まったくその通りです。
実は私は以前から、疑問を抱いていたことがあります。
それは、「愛国心」と聞くと、すぐに、
「外国と戦うこと」
と思う人が圧倒的の多いということです。
私の中で、自然に異常な違和感を覚えます。

以前、ネットの投稿で、そういう意味での「愛国心」を題目に、言い合っている人たちがいたので、私はたまらず書き込んだものです。
「ちょっと待ってよ。愛国心って戦うかどうかだけなの?」
そうしたら、同じ疑問を持った人たちから、いくつか返信がありました。

それから、例の友人が20年前に、私が日本の問題点を指摘したときに、
「それは愛国心に反する」
みたいな意味で私を批判しました。
どうやら、愛国心を、
「どんな問題があっても、無批判で受け入れて認めることだ、いや肯定することだ」
と取れる発想なのです。
受け止めたり受け入れたりするのはいいでしょう。
認めるのも良しとします。
でも、肯定するのは違うと思います。
これは、前述の「外国と戦う」のと発想は同じです。
その根底には「利己主義」があります。
「決められた条件の下で、ただ自分が物質的に上手く生きて行く」
ただこれだけの思考です。
平和実現のために改善しようとはまったく思わず、自分の目先の勝利だけを計らう。
「考える」のではなく、「解決する」だけ。

以前にも何度か言いましたが、バブルがはじけて、失われた10年と言われた頃、ある映画監督が、
「おかしいことをおかしいと言わずに、守りに入ってしまった。これは危険なことだ」
と言いました。
本来の日本はそうではないということを表しています。

私が中国や台湾を視野に入れているというのは、単に個人的に日本から逃れて快適に生活するためだけではありません。
日本はもはや内側からの力ではどうにもならず、外部からの力が必要だと思うからです。
彼らとの交流によって、失われたものを取り戻すと同時に、新しい日本を作ってもらいたいからです。
権力や財力ではなく、「義」や「仁」に生きる人の溢れる国です。
この日本に生まれた私の日本人としてできる一つの愛国的行動かもしれません。

ここでひとつ、上述の「個人の解決」の思考に関して、ネットの投稿を例にとります。
【某投稿】
景気がよいようにみえるのは株価が高いからだけ
一部の大企業の役員と株主だけが儲かっているだけ
庶民には全く影響がない
【返信②】
じゃあ株買えばいいじゃん
【返信③】
そうそう、株が上がるだけとか文句言うなら株買えばいいだけ。
株買う金がないなら投信なら100円からでも買える。
自分で調べていい投信買えばいいだろ。
庶民だろうと庶民じゃなかろうと 金融リテラシーが無いだけだろ
【返信④】
庶民には影響ないって庶民でも株持ってる人はたくさんいるだろうよ
【返信⑤】
マトモな書き込みがあった
ひと安心
嬉しい
積み立てニーサで米国株インデックスを
100円からでも良いから積み立てしよう
100円からなら誰でも出来る

みなさんは何が変なのか、もうお分かりかと思います。
そこで、私も返信しました。
【私の返信】
ピントがずれています。
株を買えばいいとかどうとか、個人の「解決」ではなくて、「好景気」に値するかしないかを言っているのです。
なにか、日本は思考回路がみな「商人」になってきています。
〔この「商人」に対しては異論あり〕

それから、先週のある朝、電車が人身事故で遅れたため、学校では1限に遅れてくる生徒がたくさんいて、スカスカの状態で、私は中学生たちにこう言ったのです。
「みんな、人身事故って、これ自殺だろ?」
「毎日のようにあるんだよ」
「日本がいかに病んでいるかということだよ」
すると、後ろの方の男子生徒が、
「長谷川先生は自殺しないの?」
「病んでいるのは先生じゃない?」
と、揶揄いました。(悩んでいるけど病んではいない)
どうやら真面目に受け止めていないようなので、少し声を荒げて、
「第二次大戦で死んだ兵士より、今の自殺者の方が多いんだよ!」
と、一発かましました。
すると、みな一瞬神妙な面持ちになって、その男子生徒が静かに言いました。
「じゃ、強く生きろ、と」
私はすかさず、
「それよりも、平和になるためにどうしたらいいか考えるんだ」
と返しましたが、その男子生徒は、少し笑いながら、
「なんか政治家みたいだな」
と、呟きました。(政治家だけのすることか?)
いかに頭の中が自分の生活だけになっているかということです。
それが「病んでいる」と言いたいのです。
もっとも、エスカレーター式に進級する中学生に真面目さを求めても無理でしょうけど。

もう40年近く前のことです。
日本の「受験戦争」が社会問題になっている頃、どこかの新聞の投稿で、ある女子高校生が、
「でも、そんなことは言ってられない。外国では、人種差別で苦しんでいる人がたくさんいる。それに比べれば云々」
などと言っていました。
このように、すぐに「優等生」の側に回るのです。
当時大学生だった私は異様な違和感を覚えました。

日本から「義」というものが消え、個人の社会的成功だけが頭の中を占め、それをもって幸福としているようです。
この機会に真の「愛国心」を見直してほしいと思います。









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