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 [昆虫]

昨日は平日の休みということで、昼に母親を食事に連れて行くために1時過ぎに家を出て近所を歩いていると、アスファルトの路上にシルバーグレイの蝶が翅を閉じたままじっと停まっているのを発見しました。
寒いため動けないのでしょう。
uraginshijimi 1.JPG
なにぶん私の例もあるのでわかりませんが、この季節に生きているとしても、生殖の役目は終わったのだろうと思います。
クルマや人に踏まれるといけないと思い、私は蝶を摘まみ上げ民家の塀に停まらせました。
翅は裏が白くて先端がとがっていて、私も完全にお目にかかったことのない蝶です。
あとで調べる理由もあって、表側が開くのを待って撮影しました。
母は関心がないらしく、
「そんな臨終近いものに関わってもしようがないよ」
と言って、先へ歩いて行ってしまいました。
uraginshijimi 2JPG.JPG
少し翅を開いたので見ると、表側はなんと白い模様の入った焦げ茶色。
帰宅後、ネットで「タテハ」を検索しましたが、それらしい蝶は見つかりませんでした。
それならと、50年近く前に買ったいつもの昆虫図鑑を引っ張り出して眺めましたが、見当たりません。
というのも、たしかに翅の形がシジミチョウに似ているのですが、大きさからいって「そんなはずがない」という思い込みがあったからです。
というわけで、5分ほど掛かってやっと判明しました。
「ウラギンシジミ(メス)」〔活動時期8月~9月,開長4.5cm〕
50年前の本で新たな発見です。

今日、そこを通り掛かりましたが、もういませんでした。
関心のない方々は、「何アホなこと考えてるんだ」と思われるでしょうけど、私のような者は今も昆虫少年の虫が腹で鳴くのです。







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ホウジャク [昆虫]

先日の夕方、帰宅途中に近所の家の前で撮影しました。
この季節になると決まって花の周りを舞うスズメガの仲間のホウジャク(蜂雀)です。
(この映像はおそらくホシホウジャク)

houjaku.JPG

その昔、昆虫少年だった私は、友人と一緒によく虫網で捕ったものです。
でも、なぜ捕らえたのか、また、そのあとどうしたのか、(逃がしたのか?虫かごに入れたまま死なせてしまったのか? )なぜかよく覚えていません。
もちろん今は、見るだけです。
まるでハチドリのように高速で羽ばたいて、花の蜜を吸う。
あまりにも美しく愛らしいその姿に今も癒されます。
今回のものは、近づいても逃げようとはせず、接写しようとカメラをうんと近づけたら、逃げるどころか、さらに花の奥に潜って出てこなくなりました。
私はもっと見ていたかったのですが、オトナの事情により、撮影を済ませて帰宅しました。

このホウジャクについては、11年前の出来事を書き留めたものがあるので、見てください。

〈蛾一匹〉

帰りの途中、高田馬場の駅前のいつも寄る「ファーストキッチン」でブレンド珈琲を飲んでいると、客たちの頭上を虫が一匹わりと激しく舞っているのが目に入った。
今日の私は店の端っこの奥まった位置にあるカウンターに座っていたので、若い女性達が、
「なに?ゴキブリ?ハチ?ガ?」
と奇声を発したことで、私が店の中央付近を振り向いて気づいた。
もちろん昆虫少年だった私には見た瞬間に「ホウジャク(スズメガの仲間)」と判った。
大きさから言って「クロホウジャク」だろう。
客たちは「天井狭し」と飛び回る得体の知れない虫が気になるらしく、
「ハチだったらいやだなあ」
「刺されるしなあ」
などと呟いていた。
私はにわかに取り返しのつかない職業選択に対する悔恨を覚えた。
むろん昆虫少年が必ずしも昆虫学者になるわけでもなかろうが、昆虫写真家や昆虫画家、または昆虫図鑑の編集者など、いろいろあったと思う。
しかも昆虫に対する入れ込み度、精通度という点で少数派であるということを思えば、かなり勿体無かった。
もしここに虫網があれば、私が虫捕りの腕を発揮してみせて手で掴んでは、周りの人たちに得意げにこう言うだろう。
「これはホウジャクというスズメガの一種で刺さないから安心してください」

そんな妄想を描いているうちに、ホウジャクもそろそろ疲れてきたのか、壁の小さな棚につかまって休み始めた。
するとそこへ女性店員が殺虫剤のようなものを持ってきて、休んでいるホウジャクに向けて吹きかけた。
しかし動じない。
今度は男性店員が背が高いという理由だろうが代わって同じものを吹きかけた。
さすがのホウジャクもたまらず飛び立って店の別の方へ移動した。
いったん店員たちも諦めた様子だったが、客もこれからずっと居ることだし、このままにしておくわけがない。
姿が見えなくなったが、どうやらホウジャクは私の席の近くの死角になっている壁の上部に来たらしい。
「あっ、これってもしかして私の妄想が現実になるということなのかな」
と期待を込めて悟った私は、すぐに席を立って見えない壁の裏側へ回ってホウジャクを発見した。
私は早速もとの席にあった椅子を持ってきて靴を脱いで登ろうと試みた。
それを見ていた店員たちは、どうやら叩き潰そうと思っていたらしく手にお盆を持って準備していたが、私に任せた。
一回目は椅子から落ちた。
気を取り直してもう一度。
今度は成功して左手で疲れ切ったホウジャクを捕まえた。
私が椅子から降りて店員たちと目を合わせると、店員たちは軽く会釈をして、
「どうもありがとうございます」
と半ば事務的に小声で言った。
私は余計だと思いつつも、
「これはホウジャクという蛾です」
「大丈夫です、刺しませんから」
と早口で言ったのだが、店員たちはほとんど関心がないと見えて、
「あ、ハイ」
と軽く反応しただけでこの捕物は終わった。

その後私はいったん店の外に出て、ホウジャクを放したが、また店に入って来ようとする動きを見せたので、念じて遠くへ追い立てた。
「何だよ、今ごろになって」
「十一月の中旬になってなぜ出て来るんだ」
「こんなたくさん人のいる所に入ってきたら、殺されるだけだろうが」
「繁殖はどうした、済んだのか?」
などとホウジャクに語りかけ、かつて少年時代に虫たちをむやみに殺した罪を償った気分に浸っていた。
左手の内側を見ると鱗粉がついていた。
だが私はそれを拭き取らずに風に任せ、やがて昆虫少年の妄想と共に消え失せた。

平成十七年十一月十六日







ホタルガ [昆虫]

この季節によく低空を舞っている「ホタルガ」です。
家に帰る途中、出くわしたので、撮影しました。

hotaruga3.jpg

私がはじめてこの蛾に出会ったのは、小3の頃で、当時親戚の住む東久留米の団地に家族で訪問したときでした。
昆虫少年の私は、さっそく虫網を持って、1つ下の従弟を連れて虫を追いかけました。
しばらくして、白い輪のような模様が入った美しい蝶らしき虫が優雅に舞うのが目に入りました。
いつか筑波山の上の方で見た高山の蝶に似ていましたが、それに比べると飛び方がぎこちなく、滑空せずにひたすら羽ばたいて、それでも人間の手から逃れるほどのスピードがありませんでした。
少しの間追いかけた後、難なく追いつき捕獲態勢に入ると、飛び疲れたのか、団地の壁に止まったのです。
その羽を畳んだ姿が、完全に「蛾」でした。
近所の男の子たちが、顛末を見て、「蛾で残念だったなあ」と、冷かしましたが、私にとっては、蛾でも蝶でもどうでもよいことなのです。
ただ、周りの人のことも考えて、捕獲するのをやめました。

このホタルガは、私の中では、日本に生息する屈指の美しい蛾です。
しかし、体内に青酸化合物を宿しているという恐ろしい一面もあります。
5年前に、自宅付近の公園で舞っているのを見つけたとき、人間を恐れる様子がなく、むしろこちらへ向かってくるので、私は片腕を高く上げると、手のひらに素直に止まりました。
20秒ほど経った後、「長居は無用」と言わんばかりに、高く舞い上がりました。
そのときに描いた絵です。

2010 hotaruga1(135).jpg

今回のホタルガは、少し警戒心が強いのか、シャイなのか、私の足元のアスファルトに止まり、じっとしていました。
私が携帯電話のカメラを近づけ、ボタンを押すと、その音に驚いて、飛んでいきました。

余計なことかもしれませんが、この美しい白の模様は、進化の過程で、どういう理由で出来たのでしょうか?
人間にとって美しいことが、鳥に対して「おどし」になるのでしょうか?






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紙魚 [昆虫]

2年ぐらい前から我が家の住民になった虫です。
最も原始的な昆虫、その名は「紙魚(シミ)」。
なんでも、4億年前からほとんど形を変えていないとか。
昆虫少年だった私でも、昆虫図鑑で知っていただけで、これまで実物を見たことがありませんでした。
実物は、思っていたよりも大きいので、少し驚いています。
体長3mmぐらいかと思っていましたが、体長15mmぐらいあります。
海岸の岩に居るフナムシを思い浮かべます。



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本の中に居て、紙を食い荒らすとか言われていましたが、どうやら濡れ衣を着せられていたようです。
今回撮影した紙魚は、押入れの扉に張り付いて、角度は変えたものの、ほとんど同じ場所に何日もいました。
5日ほどでいなくなりました。

一昨年、最初に発見したときは、畳の上をゆっくり這っていました。
どうも最近は面倒臭くて、掃除機でゴミを吸い取っていないので、畳にダニの死骸などがたくさん残っているものと思われます。
それで、餌が豊富にあるのかもしれません。
その後、別の個体を発見したとき、表に出してやろうと、紙に乗せようとしたところ、嫌がって逃げるので、無理やり紙を下に敷こうとしたら、脚が取れてしまって、可愛そうなことをしてしまいました。
そういうわけで、今回はそのままそっとしておいて、家の守り神にしました。

それにしても、彼らは一体何を思って生きているのでしょうか?
私たちもそうですが、なぜこのようなものが形作られたのでしょうか?
ビッグバン以来の単なる粒子の運動の結果でしょうか?
それとも、何かの意思が働いているのでしょうか?




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