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ピアノ演奏〔3〕 [音楽]

今回は1曲だけです。
既述の通り、昨年11月に私の母が入院して、1人暮らしが始まってひと月経った頃、土曜日の朝の有名な音楽番組で、ある若手の男性ピアニストが弾いていたのが、ブラームスの『幻想曲集 作品116の4』でした。
早速、私は練習を始めました。
もちろん私は以前から知っていましたし、CMにも使われていたのを覚えています。
10年前に、私は一度、116の1〜3を弾いていたのですが、なぜかそこでやめてしまいました。
その4番目の「Intermezzo」はブラームスのピアノ曲の中では『118の2』と並んで美しい曲として知られています。
ただ、聞いていると易しそうなのですが、弾いてみると意外と難しく、未だに1曲通して弾くと、必ずどこかでミスります。
ブラームスは、演奏効果を狙った音楽を極力嫌ったと言われます。
その分「音楽そのもの」にこだわったので、かえって弾きにくいのでしょう。

116.jpg116-4.jpg

https://photos.app.goo.gl/46SD5UDBhTPUqHJZ8

では私がなぜこの曲を弾くようになったか?
その音楽番組の中で、
「ブラームスが歳を取って、仲間が次々と亡くなっていく」
「そのときの心境を表した曲だ」
という説明があり、私もちょうど、同級生が亡くなり、1つ下の従兄弟が亡くなり、母親も家に居なくなり、そのような心境に達したからです。
おまけに私の場合は、独身であり、理解者も少数派、今後20年も生き長らえて果たして良いものか(?)、何の意味があろうかと思い、近頃いやに孤独を覚えるのです。
歌の場合と違って、ひたすら孤独を味わいながら弾くのです。
演奏効果の低い曲を「ただ自分のために」弾くだけです。
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歌〔補足〕 [音楽]

昨年の11月から一人暮らしになり、夜はほとんど外食になり、しかも遅くなってもいいので、12時近くまで店にいることがあります。
この50日間の夏休みで、人に会って一緒に行動する日がどれだけあったかというと、毎日の母の面会(周1回は姉と行く)を除けば、埼玉の友人2人と1回、中国の女朋友?と1回だけです。

そんな孤独感を癒すためか、新しく交流の場を見つけて、自分の存在感を示して楽しんでいます。
4月頃から、毎週のように行くようになった小さな「中国居酒屋」があります。
ほとんどの客が常連客で、私はその一人になり、常連客と気軽に話すようになりました。
その店にはカラオケがあり、1曲100円とけっこう割高です。
ただし、機械の採点で「90点以上」を出すと、「ビ-ル1杯サービス」という約束があります。
90点なんて軽いと思う人もいるかもしれませんが、その機械は厳しくて、音程とリズム、ビブラートを完璧にしても、「89点」止まりに設定してあるのです。
一部を除けば、客のほとんどは70点台です。
では、それを超えるためには何が必要なのか?
分析を見ると、「音程」や「抑揚」もありますが、『こぶしの回数』が大きく影響していることが判明しました。

私はもとより機械の点数には興味がありません。
聴いて「良い」と感じるものは、機械に反応しないからです。
でも、いつもカラオケ代を出す常連客の1人『Aさん』がビールのお代わりを(私に)催促し、店の中国の女主人が私にリモコンを渡すので、仕方なく要望に応えるべく、高得点を望める曲を歌う羽目になったのです。
例えれば、純粋に学問や研究をしたいのに、難関校の入試を突破するために受験勉強させられているといった感覚です。
兎にも角にも高得点を出すには「股旅演歌」が手っ取り早いので、そうしています。
それで私は、今まで計9回オーバー90を出して、そのうち6回Aさんにビールを支給しました。(私は只で歌っているので、ビールをもらったのは1回です)

動画を見てわかるでしょうけど、常連客たちは、「点数」を期待しているのであって、私の歌そのものにはあまり興味がないようです。
先日の様子をほんの一部分紹介します。
動画は短縮しました。

【ふるさとの灯台[2番だけ]】(1952年 田端義夫)
https://photos.app.goo.gl/AaA6LoGBwBmy8Gcd9
昨年覚えて何回か歌ったことがあるだけです。
股旅ではありませんが、こぶしが適当にあるので選びました。
この歌でこの日2回目の「Over90」。
女主人はぶつぶつ言いながら、渋々ビールをAさんに差し出しました。

【箱根八里の半次郎[1番だけ]】(2000年 氷川きよし)
https://photos.app.goo.gl/MPUfuNY5jXqZZqg89
私にとっては新しすぎる歌ですが、みんなが知っている股旅ということで、決めました。
耳にこびり付いているので、覚える必要はなく、ほんの数週間前に2,3回歌ってみただけです。
(と言いながら、1か所節を間違えました)
この日3回目の「Over90」でしたが、女主人は「もうダメ」と言ってビールは出しませんでした。
私は(準パチプロの)Aさんに、
「Aさん、ビール打ち止めだって!」
と告げました。

【スイスの娘】(1958年 ウイリー沖山)
https://photos.app.goo.gl/QggNyC64BLCWZGLq6
前回載せなかったもう1つのヨーデルです。
先日は走ってしまってひどい出来だったので、気を付けて歌いました。
何とか形になりました。
始めから終わりまで載せました。
嫌でなければ聴いてください。

ともあれ、私ができることで他人に喜んでもらえれば、自分も有意義に楽しく過ごせるというものです。

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ピアノ演奏〔2〕 [音楽]

非常勤講師の夏休みは50日もあります。
最初のうちは、身体が楽ですが、だんだん生活が乱れてきて、10時頃に朝食、昼は3時か4時、または食べないときもあり、夕飯は9時前後です。
当然、夜更かしすることになります。

その中で毎日することといえば、母親の面会とピアノ演奏です。
昼頃から2時ごろまでは、ピアノで腹ごなしするのが日課となってしまいました。
まあ、歌と違って、「みんなで楽しく」というわけにはいかずに、孤独なひと時ですけど。
と言っても、同じ曲ばかりでは新鮮味がなく意欲も湧かないので、ちょくちょく新しい曲を練習します。

ここ数年はバッハ以前の音楽に嵌まっていて、以前に動画を載せたW.バードのほか、O.ギボンズ、G.フレスコバルディなどを弾いていました。
この夏は、ルイ・クープラン(Louis Couperin 1626-1661,François Couperinの伯父)の組曲〔第2番〕を練習しています。
L Couperin hyoushi.jpg
L Couperin Suite2.jpg
私がこの作曲家の存在を知ったのは2年前で、独特の雰囲気に魅了されました。
ピアニストの永野光太朗氏の『第7番』のチェンバロの動画を視て、自分もどれか弾いてみようと思いました。
永野氏は楽譜を見ながら演奏しているので、自分もそうしています。
楽譜を見て弾くというのは、曲によっては有効であり、永野氏によればその曲の「作法」のようなものらしいのです。
そういえば、坊さんが経を唱えるときに、経典を開くのは、そういうもの(作法)だと聞いたことがあります。
実際問題、バロック以前の曲は、ロマン派の曲のように指の形で覚えるようにはできていないので、我々アマチュアが暗譜するのは難しいと思います。
とはいえ、老眼鏡をかけないと楽譜が読めなくなりました。

また、チェンバロなどの古典楽器のために作られた曲なので、ピアノで弾くと楽曲の良さが出ないし、逆にピアノの特性(広音域や強弱)を活かせないかもしれません。
でも、この曲集はそれらを超越する魅力があります。

Louis Couperin [Suite Ⅱ]
1. Prelude         https://photos.app.goo.gl/uD5XC6PEpkhFNAMv5
2. Allemande        https://photos.app.goo.gl/baQeiEE7S4i6FHSt6
3. Courante        https://photos.app.goo.gl/x8YGhKqPhX4nPbfT7
4. Sarabande        https://photos.app.goo.gl/eMN5qceqB8zGS66o8
5. Gavotte de Mr. Hardel  https://photos.app.goo.gl/ahKo82scBo5rmdkH9
6. Double de la Gavotte fait par Mr. Couperin  
             https://photos.app.goo.gl/dmDWE3iLmKwD7mt89 

⁂「くどいから」というより、録画上の都合(?)で、Courante以降は、「繰り返しなし」にしました。
ともあれ、動画を作ることは、「歌」も併せて、【夏休みの成果】の発表とでも言っておきましょうか。

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 [音楽]

ピアノの動画は、今まで幾つか載せましたが、歌の動画は、5年前に『幸福』の中でほんのワンカット載せただけです。
しかし、私にとって歌はよりどころであり、人との交流において絶大な威力を発揮するものとなっています。
幼少の頃は、耳から入ってきた流行歌などを口ずさんでいましたが、高学年になると、人前で歌を歌うなど、恥じらいが先行して、その機会すらなくなりました。
ところが、大学生の頃、世の中にカラオケが普及してからは、人前で歌う習慣ができました。
特に就職してからは頻繁にその機会が生まれました。
もちろん私には音楽の下地があったため、聞いた歌をそのまま再生するのはたやすいことで、そんなに練習しなくても形にはなって、しかも人に受けたりして、愉快に過ごすことができました。
それまでお互い知っていた人たちも、私が歌を歌うと、私の対する見方や扱いが、ガラッと変わるなどということがしばしばありましたし、今でもあります。
そうは言っても、プロの歌手とは格段の差があるのは確かです。
正式に習ったことがあるのでわかります。
技術的な問題だけではない何かが違うのです。
私の歌は、
「場末の店で歌えばたいがいは褒められるけど、商品にはならない」
というレベルです。
「自分で作詞や作曲をしたら?」
と言われることがありますけど、それほどの才能や意識はありません。
それに、どんなジャンルでも、もう出尽くしてしまって、新しい曲に「良いもの」はないと思うのです。
それで、歌うのも古い歌ばかりなのです。

今回、友人2人を連れて地元の店に行った時の私の歌を幾つか紹介します。

『山の人気者』〔1934年〕
https://photos.app.goo.gl/f8L8TKk3wmNokmWV6
昨年の春、ウイリー沖山の動画を視て、ヨーデルを練習しました。
最初のうちは、「表・裏・表・裏」の4番目の裏が出なくて、悩みましたが、2カ月ぐらい経つと、なんとか出来るようになりました。
でも練習していないと、すぐに「裏」の方の音程が上がらなくなります。
今回の出来はというと、後半のヨーデルの所でやはり走ってしまいました。
もっと余裕を持って、「聞きながら」歌うべきでしょうね。
もう1曲『スイスの娘』も歌ったのですが、走りすぎて酷い出来だったため、載せませんでした。
機会があれば、いつか撮り直して載せます。

『La maragueña』〔19世紀〕
https://photos.app.goo.gl/gTpnEWGH4QrYH3As8
7年ぐらい前からよく歌っています。
もちろん、トリオ・ロス・パンチョスのバージョンです。
しかし、少し力んで急いでしまいました。
1か所間違えましたが、何とかなったという感じです。
終わった後、女性の店員から、
「スパニッシュですか?」
と聞かれ、
「はい、スパニッシュです」
「まあ、こんなの歌う人いないでしょうね」
と答えると、店員さんが、
「歌えないですよ」
と即答しました。

『And I Love So』〔1973年 Perry Como〕
https://photos.app.goo.gl/jLAwnKPCpqFR34vd6
30年ほど前にライブハウスで何度か歌いました。
私の願望成就を装う(pretend)歌です。
出来はまあまあです。
出だしで拍手した人は、78歳の男性で、他の客が演歌ばかり歌う中、英語の歌だけを歌う人です。

『Oh My Papa』〔1954年 Eddie Fisher〕
https://photos.app.goo.gl/E9LTFAztDqmoYFzR9
4年前に動画を視て、3日で覚えました。
正統派クラシックの発声の練習も兼ねて、度々歌っています。
亡き父に敬意を込めて。
完璧ではありませんが、うまく歌えた方でしょう。

『ロザリオの島』〔1964年 春日八郎〕
https://photos.app.goo.gl/jL8UgMuqMNdPRNNt5
最初の方で、店員さんにスマホを倒されてしまい、カバーが閉じて、以後画面が真っ暗になってしまいました。
この歌は、昨年動画で知った歌で、気に入ったのですぐ覚えて、すぐにある店で歌ったところ、そこに居合わせた客から、
「いいねえ~」
と称賛され、店長から、
「これ伊藤久男の歌ですか?」
と尋ねられ、
「いえ、春日八郎です」
と答えました。
当歌手にしては時代が後の方なので、古い人でも知らない人が多いのかもしれません。
でも、春日ファンの間では4位ぐらいの高評価なのです。
やはり良い歌はわかるのでしょうね。
出来はというと、全体的には良いと思いますが、不遜にも音程が不安定で上がりきらない箇所があったので、そこが課題として残りました。

ここに掲げた歌はみな、今の私の境遇や心境を表しています。
それにしても、撮り直して、なぜもっと完璧な動画を載せないのかと思われるかもしれません。
それは、当ブログはあくまで「思考や行動の反省」を促す場だということです。
人間の弱さを知るためでもあります。
それによって、私自身もいろいろな意味で成長できるのです。
完璧な動画なら、プロの歌手の動画でいいわけですから。
今回わかったことは、
「力むと時間の感覚が伸びる」
「だから客観的には短くなる」
ということ。
いつかも言ったように、大けがをした時など、危機が迫ると、1秒が3秒ぐらいに感じるなんてことがあると思いますが、それと同じことでしょう。
ともあれ、人に聞かせるということがいかに難しいか痛感します。

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父と音楽(+動画) [音楽]

父が亡くなってちょうど30年が経ちました。
私の家族は、以前は葛飾区の或る辺鄙な町に住んでいました。
私はそこで高校卒業まで過ごしました。
私が幼少の頃、すなわち昭和40年前後というのは、日本全体が元気な時代で、父も母も社交ダンスを習い、既述のように、父は兄弟や居候のおにいさんのほか、近所の人を家に集めてバンドを組み、休日に演奏をしていました。
部屋には大きなステレオとダンス用のLPをはじめドーナツ盤や手裏剣盤が置いてあり、タンゴ、ジャズ、ハワイアン、歌謡曲、民謡など、あらゆるジャンルの音楽に溢れ、そういう情操教育に打って付けの環境の下で私は育ちました。
その流れで私はピアノを習うことになったのですが、どちらかというと母から強制的にやらされたという感じで、そのせいか、当時は音楽は好きでもピアノという楽器はあまり好きではありませんでした。(育った環境に西洋のクラシックがなかったからかもしれません)
父自身はベース(コントラバス)を演奏し、アメリカ音楽を好み、特にサッチモ(ルイ・アームストロング)のファンで、(叔父さんたちが言うには)サッチモを語らせると一日中話しているというくらいでした。
というわけで、私と父は音楽を介した親子関係でもありました。
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時は流れ、昭和50年代になると、日本社会は全体的に、文化を楽しむことよりも物質生活に重きを置くようになり、猫も杓子も(トコロテン式に)進学し、就職するという方式が出来上がりました。
そしてそれが過熱して受験戦争へ。
もっとも私にはその流れに乗る意思は微塵もありませんでした。

父は材木屋の次男で、若い頃から実家の手伝いで身を立てていましたが、収入は低く、その時代においては家族を充分養えるほどではありませんでした。
それでも母は私と姉を私立学校に入れようと、必死になって外で働き始め、次第に父と不仲になっていきました。
そして数年後、私が大学に通うためという理由をもって、母と姉と共に私は今の小岩の家に移り住むことになりました。
ただし、かかる経緯により、父には新居の場所を教えていませんでした。

しかし数年後、父は知人を通して私たちの新居を突き止め、以後ちょくちょく来るようになりました。
それからは、父が来るたびに外に食事に行ったり、都心の方に行ったりもしました。
私が私立学校に就職してから1年後に、そろそろグランドピアノに変えたいということもあって、何処だか忘れましたが、ヤマハの展示場に父と行きました。
いわゆる「Cシリーズ」と「S」が並んでいて、いくつか試弾させてもらいました。
当時私は、ベートーヴェン後期の作品に嵌まっていて、就職してすぐに、晩年の『6つのバガテル(Opus126)』に取り組みました。
「C4」を試弾したときの〈第3曲〉を32年振りに練習して弾いてみました。
https://photos.app.goo.gl/euNotPw3k8mgf5s7A

試弾しているとき、父は黙って笑みを浮かべているだけでした。
それで結局購入したのは例の調律師(高木さん)の店からで、「S」でした。
その後、父が来ると、新しいピアノでE・サティの『Je te veux』などを披露したのでしたが、父はアメリカ音楽が好きなので、「次の機会にはこれを」と思って買った「ガーシュウィンの楽譜」を父に見せて、それを聴かせるつもりでした。
ところがそれは実現しませんでした。
なぜかと言うと、あまりにも難しかったからです。
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この曲集はガーシュウィン自身がピアノ用に編曲したもので、一見弾けそうな曲でも、弾いてみると難しくて何度練習してもあまり上達しないのです。
巷にはこれを易しくした中級版や初級版が出回っているくらいですから。
そんなわけで、父が来て、
「この前のガーシュウィンは弾いてみた?」
と聞かれた時に、私は、
「いや、まだやってないよ」
と、答えるのがやっとでした。
父は幾度か、
「元の家を改修するからと言って帰ってきてくれ」
「このとおり駐車場を作って・・・」
と、図面まで用意して懇願したのですが、私はつい「今の家が便利だから」と言って断ってしまいました。
父はさぞかし失望したことだろうと察します。
そして1年後、父は癌で入院し、その2年後に再発して帰らぬ人となりました。
もちろん私は悔いが残りましたが後の祭り。
葬儀を終えて墓を建てるなどバタバタしているときに、私はスピリチュアリズムに生きること、そして著作等何らか形を残すことを父に誓いました。

ただひとつやり残したこと、それは父の前でガーシュウィンの曲を弾くことです。
もはやそれは叶いませんが、30年たった今、霊界で聴いていることを想定して弾くことにしました。
どうせやるならいちばん難しい曲をと思うのが人情で、最後に掲載されている『LIZA』に決めました。(表紙にある順番は違っています)

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と勢いよく言ってはみたものの、いざ始めたらとんでもなく難しく、音を取るだけで精一杯、表現を考える余地などありません。(若者風に言うと、やってみぃ、メッチャむずいよ)
1年練習しても完璧には程遠いものとなってしまいました。
ジャズ特有のテンション(9,11,13)を使った広い分散和音の連続で、しかも半音ずつズレていくので至難です。〔ミスはご容赦を〕
https://photos.app.goo.gl/keVM2FWHTT5NoqEn6

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調律師(+動画) [音楽]

あれから9年が経ちました。
私が26歳の頃から年に一度、7月か8月に来てもらっていた高木さんというピアノの調律師がいました。
高木さんは江古田で親の代からピアノの楽器店の経営と調律をやっていて、歳は私より7~8年上で、色が黒く体は筋骨隆々、ヨットに乗り、長期休暇には一人でボルネオ島に探検に行くほどアクティヴな人でした。

私の家のピアノも、出会った頃に高木さんの店で買ったもので、アップライトからグランドに替えるときに、
「本当はこれが一番いいんですけどね(高い)」
と勧められた今は製造されていない「ヤマハS400B」(象牙と黒檀の鍵盤)です。

それで9年前のことですが、それまで年に一回、調律の後にお茶を飲みながら世間話をして、ほんの2時間程で別れてしまう間柄なのに、その日はどういうわけか仕事の後に私を外に連れ出し、バイクの後ろに座らせ、江戸川の下流の船着き場に招きました。
それから、私を高木さんの所有する船に乗せ、ロープの結び方などを指導して、こう言いました。
「今後、友達を連れてきて乗せて遊んでもいいからね」
(といっても私は船の操縦はできませんし。それとも免許を取れと言っているのか?)
ともあれ高木さんは操舵室へ、私は後ろへと別れて出航し、江戸川を下り、妙見島【*】の左脇を通り抜けて、東京湾に出ました。
しかしその日はあいにく風が強く、波が高かったということで、適当な所で引き返しました。

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【*】江戸川の中州で東京23区内唯一の島
船着き場に戻ってから、高木さんに言いました。
「あれ、妙見島ですよね」
すると、高木さんは、
「ああ、知っているんですか」
と答え、私が、
「高校時代に友達とよく東西線でわざわざ西船橋周りで帰ったんですけど、その時に鉄橋からいつも見てたんです」
と説明すると、高木さんは、
「妙見島にラブホテルがあるんですねえ」
と意外な発言。
いや、実は私も気づいていたので、2人で思わず笑ってしまいました。

そのあと、また家までバイクで送ってもらって別れました。
しかしながら、どうした風の吹き回しかと、私はしばらく悩んでいました。

そのうちに1年が経ち、夏になり、もう来るだろうと思って構えていました。
ところが、8月が終わろうとしても一向に連絡が来ません。
すると、ある日、一本の電話が架かってきました。
母が受けて、なにやら調律の話のようでしたが、様子が変でした。
母が言いました。
「いま鈴木さんという調律の方からだったんだけどね、高木さん亡くなったんだって」
「去年の10月、心臓の病気で急に」
「まだ50代よね」
「あんな頑丈で死にそうもない人が・・・」
私はすぐには信じられませんでした。
と同時に1年前に船に乗せられたことを思い出しました。
「えっあの2か月後?」
「あの出来事はいったい何を意味しているんだろう?」
「高木さんは私に何らかメッセージを残したのかもしれない」
今まで何度も「虫の知らせ」を経験してきたので、偶然とはとても思えなかったのです。
もちろん今でも思い返すたびに、その意味を考えます。
『船乗りは教える、人生は海(航海)。旅人は呟く、人生は旅。』
高木さんは私に、
「古いものにしがみ付いていないでもっと冒険をしろ」
と積極的な意味で言っているようでもあり、
「これからは一人で何でもやらなければならなくなるから、自分で解決する力をつけろ」
と消極的な意味で言っているようでもあります。
そういえば、その頃(9年前)、銀座の山野楽器の裏出入り口でポール・ポッツ氏に出くわし目が合った時に、
「なに燻ぶっているんだ、チャレンジしろ」
と言われているような気がしましたが、それと共通点があるのかもしれません。
(もっとも、オーディションという意味ではないでしょうけど)
たしかに以前は、絵に関しても、音楽に関しても、著作に関しても、もう少し希望を持って本気で社会に働きかけていました。
ところが、この頃になると「諦め」と「安定」が頭を支配するようになりました。
結局その後、世に問う行動は、4年前の著作一つだけです。
前回のことと通じますが、
「まず物質的生活を確保してから大義を果たそう」
などという心構えがそもそも間違いだということ、つまり道ではないということを知らせてくれているのです。

また調律師の鈴木さんから連絡がありました。
今年の夏もあの出来事を思い出し、そのたびに戒めることになりそうです。

調律前ですが、
ルネサンス時代のイギリスの音楽(ウィリアム・バード作曲)を2曲弾いてみました。

https://photos.app.goo.gl/CfuiCw14DP7gv8Ys9

https://photos.app.goo.gl/8YeCApEwHr4sM33o8

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奴隷王国(+ピアノ演奏) [音楽]

このところ幸福になれない日本を象徴する事件がいろいろと起きています。
特に組織内の人は、権力にがんじがらめで、人間的な行動が困難です。
極言すれば、正直、誠実、真実味、純粋といったものは、すなわち失業を意味します。
皮肉っているようですが、そういうものを教えるべき学校においても、ある意味で狡猾さがなければ居られません。
教会の人の言葉を借りると、まさに悪魔が支配していると言っていいでしょう。
5・6年前だったか、「ブラック企業」などという語を聞くようになりました。
そのころ私も、自分のことを棚に上げて、
「いつになったら若者が希望を持てる国になるのかねえ、この国は?」
などと、未来の日本のことを心配している振りをしていましたが、今ではその余裕すらありません。
世の中は相変わらず、
「奴隷になりますか?それとも仕事辞めますか?」
「人間やめますか?それとも生活やめますか?」
その二者択一しかありません。

私は現在そのボーダーラインにあります。
「(天山)遯」の世にあって、霊的不正を起こさないギリギリのところで人間的な生活を保っているわけです。(いわゆる昔の「ニコヨン」です)
「いや、才能と実力があれば、そんなのは関係ないよ」
という人がいると思いますが、まあ、そのとおりです。
一流であればそうでしょう。
あいにく私にはそこまで才能はありません。
少なくとも認める人はいません。
今も、仕事と生活は別になっています。

先日TVで、台湾で尊敬されている日本人を取り上げていて、それが「手書きの看板職人」だったので、興味を持ちました。
今では日本に数人しかいないそうで、よほどの名人芸でない限り需要がないことは明らかですが、台湾で持て囃されているということは、情報に違わず台湾は古き良き日本の雰囲気があるということでしょうか。
「これならできるかな」(手足が使えるかな)
と一瞬、希望の光が差しました。
実は、活字を手で書くのは私にとっては苦ではないからです。
私の父方の叔父の一人(故人)は看板屋(兼画家)をやっていました。
昭和30~40年代はそれで生計を立てていたようですが、次第に機械で作った出来合いのものを売るだけになっていったと聞きます。
私はその血を引いているので、性根を据えて修業を積めば台湾でいい線行く(?)と思います。
そんな私に対して、
「あんたを見ていると、とても一途になれるとは思わない」
「絶対成功しないよ」
と、悪口を言う人がいます。
まあ、一理あると思います。
でも、一途にならなければ本当に成功しないのでしょうか?
そうとも言い切れないと思うのです。
日本がこうなってしまったのは確かです。(一線で活躍していた芸術家や職人が次々と辞めて転業していくのを目の当たりにしています)
しかし、かつての日本は違ったようです。
私の父は材木商の次男で、実家の手伝いをして生計を立てていましたが、先ほど言った叔父を含めて、兄弟たちでバンドを組み(父はベース担当)、昭和30年代は小遣い稼ぎできたほどです。
その実力はというと、アマチュアというより、ほとんど素人ですね。
そういう話はほかでも聞きます。
ある年配の女性が、若い頃ダンスホールで一日エレクトーンを弾いて、7万円(昭和45年当時の7万円です)もらえたと言っていました。
私がもしその頃大人であれば、完全に挿絵画家や看板屋、バンドマンまたはクラブ歌手などをやっていたと思います。

https://photos.app.goo.gl/wbL5ZnV3u3n34nSa7

この動画は2か月前に録画したものです。
曲はラモー最後の鍵盤作品『王太子妃』。
実は30年前に一度この曲を練習したものの、両手が重なるところがどうしても弾けなくて挫けてしまいました。(今でも上手く弾けません)
心得のある方はぜひ弾いてみてください。
おそらく、右手の2指を押さえながらの4・5指のトリルや、1・2指による逆位置トリルに悩まされると思います。(私はわりと得意です)
聴いてわかると思いますが、細かいミスが多く、音階もキレがありません。
これでも、テイク5なのです。
プロの方がいかに上手いか、その意志や練習量の凄さが身に沁みてわかります。







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ピアノ演奏 [音楽]

一昨年6月、動画を作る目的もあって、ガラケイからスマホに切り替えました。
その時、早速作ったのがこの動画です。
何とかうまくいきました。

https://photos.app.goo.gl/nlWzuUyNgc0xoxRQ2
【Brahms Op.118-1】2016.6.3


続いてこれです。(少し長いのですが)
この曲はおもに上級者が弾くものとして知られていますが、暗譜はしやすいので。

https://photos.app.goo.gl/75Ct61PtyJX5ACB32
【Debussy Douze Etudes (11)】2016.6.3


4か月後に、友人から要請があって作りました。

https://photos.app.goo.gl/uog47aMmfalHxpxA3
【Scriabin 2mazurukas(1)】
https://photos.app.goo.gl/5Pox87DjLmeNXFgL2
【Scriabin 2mazurukas(2)】

今後、もっと完成度の高い動画をお届けしようと思っています。








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