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スピリチュアル・ヒーリング [霊的存在]

みなさんご無沙汰しております。
先月ごろから私は「スピリチュアル・ヒーリング」のサイトにハマっていて、自分も何とかヒーラーの域に達することができたらと思うようになりました。
下記の引用は前後しますが、それらについて思うところを記しました。

【引用①】
霊能力は、高い霊的意識を維持するために瞑想を日課としてきた人に、ある日突然、出現するようになるものです。一方、“霊能力を獲得したい”との思いから必死に瞑想をしてきた人の場合には、邪心が霊能力の発現を妨げ、なかなか開花しません。「霊能力など、あってもなくてもどちらでもいい。そんなことより、自分の心を高める努力の方が大切である」との姿勢を持っている人ほど、結果的に霊能力が身につくようになるのです。
この事実は、「霊能力を発現させたいと思うなら、霊能力を得ようと思わない方がいい」ということを意味します。まさに“パラドックス(逆説)”になってしまいますが、霊能力を獲得するためには、霊能力を得ようとすることを諦めるか、忘れてしまうことです。霊能力を身につけようと考えるのではなく、霊的意識を高め、平安と喜びに満ちた心境・澄みきった心境を維持したいと願うことなのです。
霊能力を開発するためには、どのような修行をすべきかについて突き詰めて考えると、「霊能力の獲得を諦めるのがよい」という逆説的な結論に至ります。しかし、これが真実なのです。霊能力が欲しいと考えるのではなく、人間としてもっと霊的成長をしたい、崇高で価値ある人生を送りたいと思うべきなのです。結局、きわめて当たり前の生き方に落ち着いてしまいました。より高い霊的心境を求めて瞑想に励むことによって、「霊能力獲得のための瞑想」から「霊的成長のための瞑想」へと、瞑想自体がレベルアップすることになるのです。
【引用②】
ヒーラーや治療家が用いる「治療エネルギー」によって、現実にどのようなスピリチュアル・ヒーリングになるのかが決定されます。ヒーラーの肩書きや治療法の呼称と、実際のヒーリングの内容は無関係です。
例えば、スピリット・ヒーリングを謳(うた)っていても、単にサイキック・ヒーリングやマグネティック・ヒーリングにとどまっていることもあります。反対に“気功治療”と銘打(めいう)っていても、治療家の霊性・人格が優れている場合には、無意識のうちに霊医からのエネルギーの媒介体となり、「スピリット・ヒーリング」をしているようなこともあります。
スピリット・ヒーリングが成立するためには、何よりもまずヒーラー自身が「霊医の道具」として認められることが前提となります。そのための条件が、ヒーラーの霊性・人格性です。具体的には「無償の奉仕性」を持ち、「自己犠牲精神」に貫かれた人生を送っているかどうかということです。世俗的な富や利益・名声とは無縁で高潔な人格の持ち主となったとき、本物の「スピリット・ヒーラー」としての歩みが始まることになります。
サイキック・ヒーラーやマグネティック・ヒーラーになるには人格性は問題とされませんが、「スピリット・ヒーラー」になるためには、優れた人格性が不可欠となるのです。この点においてもスピリット・ヒーリングは、他のスピリチュアル・ヒーリングと根本的に異なっています。これを「スピリット・ヒーラー理論」と呼びます。
【終】

私は9年前にプロの整体師を約半年やっていました。(今でもそこそこできます)
上述によれば、霊能力を得ようとして努力をしても無駄だけれども、霊的に向上しようと心がけていると自然に霊能力が備わることがあるようです。
私は今、背中や足の痛みをいやすために母親に施術するだけですが、私にそれなりの霊性が備わっているのならもしかすると、霊の深い領域で効果が出ているのかもしれません。
そうなると私もいっぱしの「スピリット・ヒーラー」ということです。
まあ、確かめようがないのですが、2,3日で症状が戻ってしまうところを見ると、まだまだのようです。
後で述べますが、受ける側(母親)も霊性が高くないとダメなのです。
もっとも、それができるようになったとしても、それを仕事にして生活しようなどと考えたら、その時点でエゴが働いて駄目でしょう。

話は変わりますが、先日、またまたいつもの幸福の科学の女性(Nさん)が訪れて、玄関で映画の宣伝のチラシなどを渡され、暫し近況を語りました。
「日本はだめですよ」
と切り出すと、
「諦めちゃダメ」
と、また決まり文句。
「もちろん自分のすることは続けてますよぉ!」
(もうこのやり取り3度目じゃないか?)
私はヤケクソになってこう言いました。
「そうじゃないんです」
「周りとは根本的に『意識』が違うんです」
「いくら努力しても、周りがみな唯物主義→利己主義なんですから」
「ボクは日本では『活躍』ができないんです」
「手足が縛られて使えないんですよ」
「諦めないとか言うのは立派でカッコいいんですけど、結果的にこのまま少数派とか変人として扱われて、死んでいくだけでいいんでしょうか?」

Nさんは、何を思ったか、あわてて言いました。
「学校がそうなんでしょ?」
「なら、起業したらどうですか?」

結局話は途切れて、映画の予告をして、Nさんは去りました。
このことを受けて、私はスピリチュアル・ヒーリング的に考えました。

【引用③】
〔スピリチュアル・ヒーリングの治療観〕
• 霊的エネルギー循環の障害を取り除く → 「霊的エネルギー循環システム」の正常化 → 自然治癒力のアップ → 病気の治癒
これを「霊的要素」と「肉(物質)的要素」の関係で見るならば、スピリチュアル・ヒーリングとは――「肉的要素(本能・肉体)」に偏ってしまった身体状態を、外部から霊的エネルギーを注入して「霊的要素(霊・霊の心・霊体)」優位の状態にする手段ということになります。すなわちヒーラーの霊的エネルギーによって、患者を「肉主霊従」から「霊主肉従」に正すのがスピリチュアル・ヒーリングということになります。
• 肉主霊従 → スピリチュアル・ヒーリング(霊的エネルギー注入) → 霊主肉従
「霊的エネルギー循環システム」正常化の、2つの方向性
霊的エネルギー循環を正常化することが、まさに根本的な治療法と言えますが、それには2つの方向性が考えられます。
1つは――患者本人の「自己努力」によって「霊的エネルギー循環システム」を正常化させるものです。患者が自らの努力によって「魂の窓」を開き、宇宙の霊的エネルギーを取り入れ、それを霊の心(霊的意識)・霊体・本能・肉体へとステップダウンさせることです。自力によって「肉主霊従→霊主肉従」へともっていくことです。これができれば肉体の自然治癒力はアップし、病気は癒されるようになります。いわゆる「セルフヒーリング(自己治療)」です。
もう1つは――「医者やヒーラーの助け」を借りて「霊的エネルギー循環システム」の阻害要因を取り除き、霊的エネルギーの流れを正常化させるものです。一般的に言う治療のことです。大半の患者は、医者やヒーラーの治療によって手っ取り早く病気を治してほしいと思っています。
治療の2つの方向性
• ①自己努力で、「霊的エネルギー循環システム」の阻害要因を取り除く(セルフヒーリング)
• ②医者やヒーラーの助けを借りて、「霊的エネルギー循環システム」の阻害要因を取り除く
「セルフヒーリング」の難しさと一番の問題点
さて、この中で最も難しいのは、自分の考え方を変える、これまでの自分の価値観・人生観・世界観を変えることです。患者が真っ先にしなければならないのは――「唯物的な思考から抜け出す」ことです。唯物的思考を捨て去って霊的思考ができるようになるということは、「霊」という高次の領域へ参入することを意味します。それによって「霊主肉従(霊的コントロール)」の出発点に立つことができるようになります。人間の最も高次の部分(霊)が変化することで、初めて本当の健康への道が開かれるようになるのです。ところが、それが大半の人々にとって何よりも困難なことなのです。
「セルフヒーリング」の一番の問題点は、そこにあります。セルフヒーリングや自己コントロールの大切さを説く人々は大勢いますが、現実に完全なセルフヒーリングを実行できないのは、「霊」という最高次の部分を変えることがきわめて難しいからなのです。呼吸法や瞑想をしたり、ストレス対策としてさまざまな心理療法に取り組んだり、あるいは食事改善や運動に励むことは、その気になればそれほど難しいことではありません。現にそれらを一生懸命にやっている人々は大勢います。
しかし本当の健康を手に入れるためには、それだけでは駄目なのです。「霊」という大もとに対するアプローチが、どうしても不可欠なのです。
スピリチュアル・ヒーリングの目的
理論的には、セルフヒーリングによって病気は完全に克服できるということになりますが、現実にはなかなかその通りにはいきません。患者自身に「霊的向上・霊的覚醒」がもたらされないかぎり、真の治療は実現しません。
スピリチュアル・ヒーリングの最終目的は、患者にそうした「霊的な変化」を引き起こし、「霊的エネルギー循環システム」を正常化させることです。患者本人の自己努力だけでは実現不可能な人間の最も深い部分(霊・霊の心)に対する変化のきっかけを、外部からヒーラーを通じてもたらそうとするものです。そして、これこそが根本的な治療を実現することになります。食事や運動や心理学的なストレス対策も確かに大切ですが、霊的世界を含めた広い考え方(価値観・人生観)は、それとは比較にならないほど大きな影響力を持っています。
【終】

では、「セルフヒーリング」や「霊の窓」開くには実際どうすればいいのでしょうか?
どんな宗教においても、外からの光、神仏の光を受けるには、「内なる光」を発する必要があります。
再三言っている省察という活動、すなわち「中庸」です。
それが「魂の窓を開くこと」にほかなりません。
紋切り型の宗教のように権威にしがみ付いて「思考停止」〔「所詮は人智」とか「地上の計らい」とか言って排除する〕するだけでは、自信を持って神仏を信じる(深信)には至りません。
スピリット・ヒーリングの難しいところは、いくら霊医が施しても、受ける側の「魂の窓」が開いていなければ、根本的には霊の領域では治らないということです。
上述のように、患者自らの「自己努力」によってのみ霊の窓を開くことができるのです。
地上経験で人間のするべきことはこれです。

日本全体もスピチュアルヒーリング(スピリット・ヒーリング)が必要です。
ただし、内側からのセルフヒーリングはほとんど不可能なので、医者やヒーラーの助けを借りてです。
では、その医者やヒーラーとは何か?
唯物主義や利己主義に完全には落ち入っていない国(中国?)です。

【引用④】
霊界の「個性霊」と「霊医」
霊医、すなわち霊界の医者たちとは、具体的にはどのような存在なのでしょうか。霊の存在を頭から否定する唯物論者には、霊医などというものは到底受け入れることはできません。すでに本書の「はじめに」でも述べましたが、霊の存在の受容は、最終的には1人1人の「霊性」に委ねられる問題です。
霊の存在を受け入れることは、非科学的なことではありません。霊の存在を一方的に否定することは、正しい科学的姿勢とは言えません。ここでは霊の存在を霊的事実として受け入れられる人を対象として、話を進めていくことにします。本書は霊の存在を初めから否定し、その枠を一歩も出ることができない人を対象とはしていません。
【終】

この「枠を一歩も出ることができない人」とは、出ようとしない人、詳しく言えば、何か権威あるものにしがみ付いて、充分に「考えない気がある人」のことです。
もし日本人の9割以上がそれだとしたらどうでしょう。
もはや自然治癒力はありません。
どのような霊医の力も及びません。
原因は何か?
それは「守りに入ってしまった」ということです。

私がNさんに言った、「周りがみなそうだから」というのはそういうことで、原理を言っているのであって、成就しないことの言い訳ではありません。
自分の努力だけを唯一の励みにして自己満足しているだけだとしたら、そのほうがむしろ無責任ではないでしょうか?
ですから、私は外部からの力を借りて変えようと考えているのです。
(私が中国を視野に入れているのはそのためです)
外国という「スピリット・ヒーラー」の力を借りて治療するしかないと思うのです。
その心は「多数」あるいは「力」です。
「守りに入らない」ように数や力で持っていくのです。

方便として物質的な「力」も必要です。
まあ、上にある本物のスピリチュアル・ヒーリングの「霊医(霊界の医者)」に相当する存在(国)については、正直疑問は残ります。
また、今後日本に「霊の窓」を開く可能性があるかというと、それも疑問です。
ただ、少なくとも、ヒーラーに相当する存在(国)の力で、末端の肉体に現れる治療効果(幸福度の向上)が出るようになることが必要不可欠だと思うのです。
長くなりました。
ではまた。







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