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宗教と戒律 [霊的存在]

先日、
「サウジアラビアで、Tシャツ短パン姿の動画を投稿した女性が逮捕された」
という記事があり、私もコメントに参加しました。
ご存知の通り、イスラム教には「外では女性は姿や顔を隠す」という妙な戒律があります。
もちろん、神がそんなことを指示したわけではありませんが、「要らぬ欲情を煽らない」というどの宗教にもある基本的な姿勢の地上人間の末端の表現であって、それが戒律化したのでしょう。(地球上の人間は外ではたいがい服を着ていますが)
それにしても、これはあまりにも一面的で、本質からかけ離れています。
イスラム教に限らず、聖人の誕生から2千年も経って「末法」となった現代における伝統宗教に対して、世間の人たちがどのようにとらえているか、それがコメントに表れています。
ただ、それを読んで気になる点があるので、少し言わせていただきます。


ある人がこのようにコメントをしました。
「僕はイスラム教徒じゃないけど何故、戒律的にダメなのを知っててやるのかな?自分から騒ぎを起こす必要は無いよね?」
        (返信2),評価:良26 悪20

どうでしょう?
事なかれ主義なのか何なのか、この人は、いずれにしても思考や行動が世の中に対する対処だけで、世の中に働きかけることをしないようです。(でも、賛同する人がこんなにいます)

私はこれに対してこのように返信しました。
『宗教には方便は付きものだけど、この戒律は方便にもなっていないからね。考え直す切っ掛けになっていいかもしれないよ。』
        【評価:良3 悪0】

〔参考までに、もう一人の返信〕
「戒律的に問題があれば意思表示したり、意見を伝えることは必要だと思う。女性は車の運転も不可だったけど行動を起こす人がいたり、権力者の発言もあり認められつつある国もあるし、自分の意思でスカーフをしない人もいる。」
         評価:良7 悪1


次に、このようなコメントが目に留まりました。
「そもそも宗教の必要性がわからない。差別や争いの種でしかない気がする。」
       (返信5)評価:良80 悪18

みなさんどうでしょう?
どうやら、「宗教=形骸化された現代の地上末法組織宗教」ということで話を進めているようです。
そして何より残念なことがこれに対する評価の割合で、前回同様、地上人類の霊的意識の欠如が見事に表れています。
事実、これに対するある人の返信を見ていただきたいのです。
「思考停止した人間の逃げ場ですよ、宗教は。」
           評価:良18 悪3

私の周囲にいる盲信者に関してはまったくその通りなのですが、それを指摘している人たちも、宗教とは何なのか、その本質を考える余地がないようなのです。
その人たちも、「信仰=考えないこと(思考停止)」の域を脱せません。
ほとんどの人が「末端」を見ているからです。
つまり哲学(省察)が欠けているのです。
(これについても評価の割合に表れています。いわゆる霊的人間14%)
私もこれには嘆きました。
私のような人間の活動はいったい何なのか?
言うのも疲れてきました。

この返信に対し、私は手短に、遠回しに、こう返信しました。
「もはや神の教えが届いていません。」
「少なくとも形骸化した現代の地上宗教は、たしかに上の人の言う通りです。」
          【評価:良12 悪0】

どうやら、どちら側の人からも解っていただけたようです。


〔参考までに、他の返信者はこう言っています〕
「宗教がなければ世界の紛争はほとんどないからね。」
        評価:良10 悪4
「もともとは、部族が連合して国家ができる過程において、
各部族で異なるしきたりや常識などをすり合わせ、統一させるために生まれたのが
キリスト教やイスラム教といった世界宗教だと思っている。
なので、今の時代はそぐわないのではなかろうか。」
        評価:良5 悪1
「これだから、乾いてて荒んだ土地で生まれ育った宗教はイヤだねーと思う。日本のように豊かな自然に恵まれると、おおらかな宗教観になる気がする。」
        評価:良2 悪2

もう何が言いたいかおわかりだと思います。
概して地上的です。
もっと霊的な視点を設けてもらいたいものです。



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コメント 2

どう思われますか

こんにちは。カテ違いで初歩的なコメントで申し訳ありませんが、(④を導く根拠に①②を用い、③は④を補強)、どのように思われますか。

① 『遺伝子DNAは誰が作ったのか』

 地球上の全ての生命に遺伝子DNAが組み込まれていますが、1mとか2mとかの長さがあり、4種の塩基配列は複雑精巧なもので、自己修復機能まで有します。

 こんなものが自然や偶然に出来るわけが有りません。作ったのは「遠い未来の人間」です。

② 『物質(原子)は誰が作ったのか』

 地球上の物質(原子)は百余り有りますが、陽子・中性子・電子の3者で構成され、それ以外の構成は存在しないし、規則性とか法則性に支配されています。

 中性子は中性子線を内包し、特定の物質(原子)もα線とかβ線などを放射して崩壊し、電子は電荷を内包しています。

 こんな複雑な物が自然や偶然で出来るわけが有りません。原子を作ったのは「遠い未来の人間」です。

 (uクォークとかdクォークとか中性子のβ崩壊で発生する陽子や電子ニュートリノなどの難しい話ではなく、単に『こんなもの(原子)が自然や偶然に出来上がるものか』ということを、お尋ねしております。)

③ 宇宙の始まりが無機であったとしても、進化の途上で有機(生命とか生活機能)が生まれ、さらに彼らが多様な進化を遂げたうえで、人間や様々なものが作り出された可能性は否定されるものでしょうか。

④ 『今の世界は虚構であり、私たちは人工的に作られた肉体を使って、人工的に作られた「場」で生活をしているのであり、本当の自分は「DNAや原子を合成する科学を持った遠い未来」(真実の世界)にいます。』という発想は、(無限回の問答は抜きにして)、成り立つでしょうか。

 (平行宇宙だとか重畳宇宙だとか「メビウスの輪」だとかの難しい解釈ではなく、もっとシンプルで単純な答えが見つからないものでしょうか)。

by どう思われますか (2017-07-24 10:47) 

光一郎

コメントありがとうございます。
私はよく人にこの問いかけをします。
「人間が生まれる前の地球は、自然(自然法則で成り立っている)だと認めるだろう。そしていつしか人間(自然でない存在)が生まれた。ということは、自然が自然でないものを生んだ(自然でない振る舞いをした)ことになるのではないか?また今でも自然は自然でない振る舞いをしていることになるのではないか?」
つまり、この宇宙も時間の流れも空間の広がりも、わたしたち人間が今の視点から「計らい」の目で見た顛倒妄想だと言えます。
それに、私たち人間は「霊的存在」であり、初めから在り、永遠の存在です。
もちろん、他の生命体も物質もそれなりの霊が宿っていて、霊がなければ形成されません。
また、この世には偶然はありません。
誤解のないように言いますと、偶然とは人間が不完全なる知性によって必然性が見いだせないときに表す言葉であって、必然と一体です。(同じ直線状にある)
簡単に言えば、すべては神(大神)の計らいです。
私たち人間も分霊(神の子)として自由意志を与えられているといえます。
結論を言いますと、何とでも言えるということです。
貴兄の唱える説は論理的に間違いではありませんし、立派に成り立ちます。
スピリチュアリズムの観点から言うか、自然科学の観点から言うか、それだけです。
ただし、「本当は」という視点を超えた是非はありません。
例えば、臨死体験の是非でも、その世界とは体験している人のれっきとした世界であって、外から見ている人が「脳が作った幻覚だ」と言うのは間違いではありませんが、「本当はこうだ」というのは論理の使い方の間違い(非意義的命題・語りえぬことを語る)です。
by 光一郎 (2017-07-26 02:02) 

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