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義理と人情 [中庸]

周知のとおり、近頃の日本はハラスメントだのコンプライアンスだのと、とかく野暮が蔓延しています。
まるで、法的な「不正」をなくしさえすれば、社会が清浄になり人々が幸福になると思い込んでいるようなのです。
「道徳や戒律では世の中清浄にならない」(ブッダの言葉)
をまったく弁えていないようです。
私に言わせれば、いつも言うようにそれは「唯物論(実在論)」に由来する「性善説の履き違え」なのですが、ますます深みに嵌まっているようでもあります。
私もつい最近、仕事のことでそういう目にあったので、たまらず取り上げました。

【*】
数年前、スカパーの時代劇専門チャンネルを観ていたら、たまたま初期の頃の『座頭市』(映画)を放映していました。
あまりにも印象が強かったので、今でも頭から離れません。
そこには、忘れられた日本人の義理人情が映し出されていました。
あらすじを掻い摘んで言います。

ある一家の男が旅路の座頭市に仇討ちを申し出た。
一家の男:「オレはおまえに恨みはねえ」
「だがなあ、仲間を殺されたヤクザの意地ってもんがあるんだ」
「こちとら、おまえの居合にやられて死ぬ覚悟はとっくにできているんだ」
「勝負しろ!」
市は堅気になって一緒になるつもりの若い女と並んで正座して言った。
市:「このとおり、あっしは、もう堅気になるんだ」
「許しちゃくれないか?」
一家の男:「ちぇっ!座頭市がなんてザマだぁ」
「よーし、それじゃ賽の目で決めよう」
「おまえが勝ったら、許してやる」
「オレが勝ったら、おまえの腕一本もらっていく」
「それでいいな?!」
一家の男が連れの女に結果を見届けるように言ってツボを振る。
市:「丁」
一家の男:「半」
ツボを上げると、どうやら半の目だ。
一家の男はやや躊躇いながらも、ゆっくりと片方のサイコロに指を置いて90度倒し、丁の目に変えた。
一家の男:「市、おまえの勝ちだ!」
「もう会わん」
そう言って、立ち去った。
市は低い声で連れの女に聞いた。
市:「半目だったんじゃないんですかい?」
女:「ええ」
市:「いい人ですねぇー」

一家の男は義理あるいは意地で仇討ちに来たのであって、勝ち負けではないのです。
そこで、市の片腕を持ち帰っても誰のためにもならないことは承知なのです。

【★】
ちょうど30年前のある日、仕事の後に私を含めて同僚10人ぐらいで、近くの中華屋さんで食事をし、そのとき私は紹興酒のボトルを一本空けてしまいました。
クルマで通勤していましたが、なんとか酔いが醒めた頃にクルマを運転して自宅に向かいました。
自宅まであと30秒という所で検問にかかり、酒気帯びでクルマを停めさせられ、降りて事情を訊かれました。
私がしっかりとしていたためでしょう。
警察官:「酒に強い方ですか?」
私:「はい」
警察官:「家は近いんですか?」
私:「はい、すぐそこです」
警察官:「職業は?」
私:「教師です」
すると、警察官は「にやっ」として、
警察官:「いろんな人が見てるから、気を付けてくださいよ」
「今日はいいですから、行ってください」
と言って、許してくれたのでした。
仕事(ノルマ)でやっているのであって、そこで私を捕まえたからといってどうなるわけでもないことは重々承知の上なのです。
当然ですけど、店が並ぶ繁華街で検問するほど警察は本来は野暮ではないのです。

【⁑】
昨今の政治家のパーティ券裏金の件で、亀井さんが検察官たちに苦言を呈していました。
「あんたたち、仕事でやってるんだろ?!」
「他人のアラばかり探るんじゃないよ!」

要するに、歯止めをかけるために業務として形式でやっているのであって、積極的に徹底してやれば世の中が良くなるというわけではないのです。
ともあれ正義を考えるなら、裁かれる側は、どんな悪法であっても罪を犯せばただ裁きを受け入れなければなりません。
でも人々の幸福を考えるならば、裁く側は、積極的に権力を行使するものではありません。
かつての日本人は、それを弁えていたのです。

日本はもう灰色が許されなくなったようです。
根本的な構造を変えないで、そのうえで、本来問題にしなくていい地上的な「不正」を問題にするようになりました。
義理人情が消えました。
日本列島は野暮天島になりました。
人間復活が望まれます。

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