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霊的人生と結婚(2) [霊的存在]

私が幼少に頃、母に尋ねました。
「人はみんないつか死んじゃうのに、どうして生まれてきて生きてるの?」
すると母は、
「死ぬまで生きるのよ」
と答えるだけでした。
今思うと、最近聞いた『禅宗の坊さんの言葉』のようです。
周知のように、それ以来私は「考える人間」になったのです。
今やスピリチュアリズムに則って霊的行動を意識するまでになりましたが、どちらかというと「少年」すなわち「男」の思考や行動なのでしょう。
母はやはり「女」なのだと思います。
言ってみれば、「女性の悟り」でしょう。

4月6日、3カ月以上前のことです。
老人ホームでの夕食中、母は急に身体が震え出して、職員が救急車を呼び、その間手当てをしました。(高熱になり、嘔吐し、そのとき私は覚悟しました)
救急車が到着してから30分かけて探し当てた病院に緊急搬送された後、一時の危機を脱して、酸素マスクが不要になった頃合いに私に言うのでした。
「あなた、私より長生きしてね」
私は少し笑いながら、
「男はね、だいたい80歳前後なんだよ」
「95歳まで生きないよ」
と言いました。
しかし母は何を思ったか、
「それじゃ、あと5年ぐらい?」
と呟いたので、私は咄嗟に、
「わからないよ」
と答えて誤魔化しました。
長生きすることにどうしてこだわるのか?
何の意味があるのか?
そのときはよくわかりませんでしたが、あの幼少の時の母の返答と重ね合わせると理解できます。

翌日私が、
「またしばらく会えないけど元気でね」
と告げ、母が、
「どうしてよ」
と声を張り上げ、姉が、
「病院だから」
と説得させてその場を離れました。
半月が経って、担当医による説明を受け、短い時間ながら面会した時は、母は少し元気がなくなっていました。
担当医によると、本当は今日、施設の提案をするはずだったのですが、今日になって急に感染の数値が上がってしまったので、これからまたもっと強い抗生剤の治療をするとのことでした。

すっかり反応が遅くなった母は、私の顔をしばらく見つめた後、ボソッと呟きました。
「私の宝…」
けっして親孝行したと言えない私は、母にとっては自慢の息子ではなくとも宝であることには間違いないようです。

入院する前から母は私に何十回も繰り返し言っていました。
「あなたが生まれた直後に占い師に、『この子は必ず貴女のためになりますよ』って言われたけど、当たったねー」
私はそれに対して、
「それは単に九星気学の五行の関係で言ったんだよ」
「(母の)九紫火星と、(私の)三碧木星が【相生】の関係だから」
などと、少し興覚めした言い方で納得させたのですけど、母はすぐ忘れてまた言うのでした。
病床にあっても、常の私たち子孫のことを気遣っていて、
「あなたが健康であればそれでいいの」
と言います。

それでまた2週間後に来ることになりました。
そして2週間後、担当医から、
「あの直後にひどい下痢を起こしまして、どうもまったく別の菌が入り込んでいたらしく、点滴ではなく、飲み薬で治療したんです。それで食事もとれていないということなんです。」
と説明がありました。
その後は、静脈の点滴となったのですが、貧血になり、ギリギリの数値なので、輸血をしたりと、とにかく予期せぬことが次から次へと起こるので、とても退院して施設に移る状態ではなくなりました。
おまけに、その病院は、コロナが5類になっても、面会緩和の話がまったくなく、2週間に一度だけなのです。
これでは母にとって何の励みもなくなってしまうのではないかと思い、面会できる病院に移してもらうことさえ考えていました。
それにしても、こんな状況の時に会えなくなるなんて夢にも思いませんでした。
パンデミックで面会禁止なんて、誰が予想したでしょうか?
50年後の人が聞いたら、「なにそれ?」と言って笑うかもしれません。

繰り返しますが、母は何より私(と姉)が健康でいることを望んでいるのです。
母がいなくなった後に、私が沈んでばかりいたら母は嘆きます。
然らばどうするか?
パートナーを見つけることです。(えっ?)
母も何年も前から、
「誰か(私と一緒に暮らす女性が)いないかしら」
と心配していましたし、私がある中国の女性と一緒にいたことを話すと、
「その人がいいの?」
などと言って、いつも気にしていました。

少し前までは、経済的な理由もあって、今の家を売るか貸すかして、残りの20年を辺鄙な土地の安い物件に移り住んで、悠々自適に過ごそうと思っていました。
でも、この半年余り独り暮らしをしてみて、独り暮らしが自分には向かないことがわかったのです。
以前にも言いましたが、もともと私は独身主義者ではありません。
よく、独りは自由だとか気楽だとか言うのを聞きますが、私はそうは感じません。
生活に張りがないとしか感じないのです。

30年以上前のこと、父は亡くなる3年ほど前に、私に結婚のことを聞きました。
私はそのとき、
「いや、結婚しなくてもいいよ」
と言ったのですが、父はすかさず、
「でも結局、結婚しなきゃならなくなっちゃうんだよ」
と答えました。
私はそのとき意味がよく分かりませんでしたが、今はわかります。
頭ではなく、「身体」でわかります。

単なる物質的生活でもそうです。
仕事や外出の帰り、買い物をするのでも、今までは、
「これを買って帰れば、母が喜ぶかもしれない」
とか、
「試しに食べてみようか」
「これを鍋に入れてもらおうかな」
などと、いろいろ考えることができて、新しい発見があったり、失敗したり、生きている感覚がありました。
でも今は、陳列されている商品を見ても、
「ああ、どうせ独りなんだから、買っても余ってダメになるだけだし、簡単に済まそう」
という発想になってしまいます。
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もしこの先、経済的に余裕ができて遊んで暮らせても、誰かのためにこうしようとか、何かのためにああしようというものがなければ、死んだも同然です。
著作などのライフワークはあるとはいえ、それは普段の生活があってこそ活性化するのです。
人間とは、煩わしさの中に存在の意味があるのであって、観想的な生活に中には「霊的進歩」はありません。
冒頭の『禅宗の坊さんの話』のように、5年なら5年、30年なら30年、とにかく生きている間に充実した活動することが霊的進歩になるのです。

今住んでいる家は、築43年で建物の資産価値はありませんが、屋根は2回直し、床も直し、トイレも何度か直したので、壊すのはもったいないほどで、住むには良い状態です。
駅から徒歩7分、売っても大したことありませんが、買おうと思ってもなかなか買えない家です。
物質的条件はこれだけです。
残りの20年?を損得ではなく充実したものにすべく、この家を条件に素敵な(?)女性と過ごすのが最善だと思うようになったのです。
それが母親に対する「孝」に値すると考えます。
「今(62歳)から婚活?」
「それはかなり難しいのではないか?」
「全敗記録を更新する気か?」
という人もいると思います。
確かに難しいと思います。
《異星人》の一時の気の迷いか?
ある知人にその意思を伝えると、
「ハセガワさんのことをわかる女性はいない!」
「男だってほとんどいないよ」
「わかるのはオレだけか(笑)」
とキッパリと、たしなめられました。
でもどうでしょう?
感覚的にわかるとか理解するとかということと、結婚は別ではないでしょうか?
もとより私は、どちらも期待していません。
なぜなら、男と女は「別の生き物」だからです。
考えてみてください、今結婚している男女はわかり合っているのでしょうか?
理解しあっているのでしょうか?
そうではありません。
ただ契約して、一緒に生活しているのだと思います。
私も一緒に生活する「(深い意味での)パートナー」を求めているだけです。
それでも難しいでしょうけど。
〔ただ一緒に住む女性なら、いなくはないのですが・・・例の中国女性(51歳)〕

以前言ったかもしれませんが、17年前に浅草橋のガード下のある有名な女性占い師に見てもらったとき、
「女性は見える」
「でも子供は見えない」
と言われたのです。
どちらかというと「霊視」に近い感じでした。
その女性とは誰のことなのか?
結果はどうなるのか?
わかりません。

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