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逆風 [霊的存在]

先日テレビで私が15年前に数学を教えた30歳の女性が紹介されていました。
私は千葉県のS校で2年間非常勤としていましたが、1年目に中3習熟度α(真ん中)クラスを持ち、その中にその子がいました。
数学に関しては1年間αだったので特に才能があるとは思えなかったのですが、他の教科は出来たということ、しかも、日本の伝統文化に関しては高校生の時にテレビに出て優勝したほどの実力と知りました。
その後、慶応に進学、そして今では、日本の伝統文化の会社の代表取締役になり、充実した日々を送っているようです。
「自分の趣向や使命が社会に影響を与えて、それがそのまま生活に結びついているなんて…」
今の私の境遇からすると、何と羨ましいことか。
15年前は、その子たちの前で私は、売り込んでいた絵や著作を紹介したり、時にはピアノまで披露して、中途半端な才能をひけらかして自己満足に浸っていたのですが、今やまったく追い越されてしまった感じがします。

ご察しの通り、私は今年度はまだ職を得ていません。
去年度在職した学校は2月になって継続なしを言い渡され(継続したくはなかったが)、それを想定して11月から始めた数学講師探しは、10校以上応募してほとんど書類落ち、3度目のドタキャンの波でやっと2校面接に行けたものの、他にも応募者がたくさんいて採用に至らず。
要するに、数学教師は今、完全な「買い手市場」なのです。
以前は信じられないことです。
他の仕事は?
10年前にやった整体師は?
しかし地元の街の整体院はといえば、5年以上続いた所さえ最近ことごとくつぶれているのを見ると、腕が悪いのではなくて、客がみな生活苦で出さなくなったのでしょう。
今後ますます厳しくなると思われます。
日本語教師は?
今、外国人移住者が増えて、需要があると聞いて、また考えいるのですが、なにせ、16年半も前に某養成学校を卒業して以来一度も仕事をしたことがないので、すぐやれる自信はありません。
先月下旬に、その養成学校に見学しに行きましたが、忘れていることが多くて、また、実践の感覚がつかめないので、これからまた勉強が必要となりそうです。(もっとも、これは日本では稼げる仕事ではありませんが)

もちろん私の本当にやりたいことが収入に結びつくようなものでないことは十分承知しています。  
でも最低限の物質生活を確保するための仕事でこんなに困難を極めるとは思ってもいませんでした。(シルバーバーチによれば、霊的行動を全うしていれば、最低限の物質生活はできるようになっているはずなのですが…)
最初に紹介した教え子の充実ぶりを見ると、単なる生活のために今さら勉強したり修行したりすることがいやに虚しく思えてきます。

昨日、御徒町に行く用があって、1年前に行った「徳大寺」が目に入ったので、寄ってみました。
最後におみくじを引くと、「凶」でした。
「岸に立って待っても、一向に船が来ない、それと同じ状況」
という内容でした。
気を取り直してもう一度引くと、「末吉」で、同じような内容でした。
そういえば、先月の下旬に、地元の小岩神社に行って引いた時も「末吉」で、
「春はもう花が散ってしまっている、秋口のほうが良い」
ということでした。
私の境遇を見事に表しているのですが、この時期に同じような境遇の人がたくさんいるから、あらかじめそれを想定しておみくじを用意したのではないかとも思ってしまいます。

私はもう若くはありません。
かと言って年金生活が来るまで遊んで暮らせるだけの貯蓄はありません。
最近のニュースで見る中高年の引きこもり61万人の中に入るのかと思ったのですが、引きこもるだけの余裕もありません。
母親はますます老化が進み、この危機的状況すらわからなくなっています。
この容赦なく吹き寄せる『逆風』はいったい何なのか?
これが地上の修行なのか?
今できることは「M親分の遺言」どおりに、毎日のように母親の外出や食事の世話をすることだけです。
そして、相変わらずの活動です。
【あるネットの記事を見て】
『キリスト教女子校人気が再燃の理由(NEWS ポストセブン)』
〔某コメント〕
キリスト教系の学校で気を付けないといけないのは、
「誰も見ていないようでも、神様は私の努力を見てくださっている」
と考えてしまい、ブラック企業に入っても
「これが神様が私に与えてくださった試練」
などと、めちゃめちゃ仕事頑張っちゃう女子になってしまう恐れがあるところです。
ここにだけ気を付けていれば、キリスト教系の学校はとてもよいです。
ポジティブ思考が自然と身につきます。
《これに対する私の返信》
キリスト教に限らず、聖人の教えは、
「地上の住人とならずに、地上の旅人であれ」
「飼い犬になるよりも、野良猫になれ」
ということです。
平たく言えば、カネの出所や権力に媚びるなということです。
ブラック企業に入ってしまったら、即辞めることです。
辞めないで頑張るのは、物質生活に執着があるからであり、無意識に権力に媚びているのです。(悪魔の誘惑)
「野良猫」は確かに厳しいです。(今の私がそうです)
でも、それこそが「神が与えた試練」です。
地上経験において、そこを試されているのです。(出エジプト記におけるユダヤの民)

伝統的宗教の中でも特にキリスト教は、教会の権威や権力維持のために、教義が巧く作り変えられています。
「我を捨てること」を「考えることを捨てる」というようにすり替えられてしまいます。
【これ以降は字数制限のため入れませんでした】
ここが肝心なところですが、このすり替えはキリスト教そのものが原因なのではなくて、教会組織が原因だということです。
これは他の宗教組織でもあることであって、
「自分が認められたい、出世したい、物質的に豊かになりたい」
という地上の欲が根底にあって、利用されるのに気づかないまま、
「我を捨てて奉仕しろ」
と教えられて、自分の都合だけの強欲権力者に奉仕してしまうのです。
つまり、我があるのに、自分では我を捨てたつもりになるのです。
宗教系の学校に入ることは、信仰心を得る「きっかけ」にはなると思いますが、下手をすると家畜になってしまいます。
そして、前回もその前も触れましたが、世の中を悪くしているのは特別な先導者ではなく、こうして「思考停止」した「多数の普通の人たち」だということです。
≪返信終≫
私の境遇がどうなろうと、世の中がどう変わろうと、季節は廻ります。
我が家の葡萄は何事もなかったかのように、また芽を吹きました。
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