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「善」 [中庸]

先日書店で、『NHKテキスト(100分で名著)西田幾多郎 善の研究 2019年10月』を手に取り迷わず購入しました。
私が『善の研究』を読んだのは25年ほど前でした。
その時は、こんな素晴らしい著作があるのに、どうして周りのみんなは読まないのだろうかと思ったものです。
無論、この著者や著作の名前は学校で習ったはずなので誰もが知っているはずです。
おそらく、難しいとか堅苦しいとかという先入観があって、ただでさえ面倒なことが多い現代社会において、考えるのはうんざりだというのでしょう。
それに、たしかに「読み手を選ぶ」かもしれないと思われることです。
つまり、こういうことを考えたことがある人はすんなり入っていけるけれど、考えたことがない人はまったくわからないと思われるのです。
対象者はどうしても哲学をもとから「実践」している人であり、少数派なのは否めません。

ともあれ今回は使われている言葉を私流に分かり易く(?)説明するにとどめます。
「宇宙」とは大気圏外の宇宙空間ではなく、森羅万象の異名であり、内なる世界をも包含する言葉です。
「自然」も同様に考えればよいと思います。
「神」は内界と外界の双方の根本の「はたらき」、あるいは、「神」は人間を超えながら同時に私たちの心に内在するということです。
ひと言でいえば「本源」です。
〔以前も言ったように、インドの修行者に、「神はどこにいるか」と尋ねると、自分の胸を指して、「ここだ」と言います〕

その辺がどうもわからないという現代人に対しては、私が思いついた独自の方法、「内包と外延」に例えるとよいかと思います。
高校の数学で習う「条件と集合」を思い起こしてください。
❶ 私たち一人一人の人間は本源とつながっているという共通の「条件」(内包)を備えています。
❷ しかも本源は私たち人間すべて「集合」(外延)を超越して包み込んでいます。

そこで肝心な『善』です。
現代人は「善」というと、誰かの役に立つこととか、「善悪」という言葉を用いて、「悪」との対比の中で考えるかもしれませんが、そうではなく、「善」とは、「大いなる自己」の開花であり、それに基づいて「行為」することだということです。

これは、私が再三取り上げている孟子の言う『性善説』の本当の意味でもあります。
ここでいう善は悪の対極ではなく、善悪の直線そのものを超越したところにあるものです。
神から光を受けているからこそ、悪を悪ととらえることでき、悪に対する善をとらえることができます。(光がさしているからこそ、明と暗ができる)
以前にも言ったように「雑毒の善」は肉体を持つ人間が「エゴ」のフィルターを通して見る結果であって、払拭はできませんが、超越することはできるので気にすることはありません。
大いなるものとは神のことであり、神とのつながりを自覚することで自信をもって人やその他に対して行動する(仏性を開花させる)ことができるわけです。

内容はそんなところです。
それよりもこの本で意外な発見がありました。
こんなに凄い西田先生は、さぞかし王道を歩んだのかと思っていましたが、実のところ名を成すまでには、けっして順風ではなかったということです。
むしろいばらの道だったのです。
略年表を見ると「悲哀」をもたらした出来事だらけです。
その中から2つ。

▼1889年 教条的になった四高の校風に反抗し、学業優秀ながら素行不良とされ落第。
▼1891年 昨秋に眼を患い勉強ができず、また、四高を卒業していないこともあり、帝国大学本科へ進めず選科に入学。待遇の差を痛感する。

私も中3の時にある出来事から教師が信用できなくなり、教師に反抗して(数字は満たしているはずなのに内申書に書かれて)公立高校を落とされたこと(真偽は不明、真相は闇の中)があります。
私はにわかに親近感が湧きました。
あまりにも純粋なために、損得を考えずに行動していたことがよくわかります。

【引用1】
いわゆる純粋な学者は学問のために学問をなし、学者になるために学問をするであろう。もとより当然なことである。しかし私はそういうつもりで学問をしたこともなければ、またしようともしなかった。のみならず学問するということは私の究極の目的でもなければ本来の関心ごとでもない。私にとってはいのちにかけての問題がある。(学問はあくまで方便)
【引用2】
彼にとって「哲学」とは専門家がものごとを考えるための道具ではなく、市井の人が人生と深く交わるためのものであり、そういった哲学を生み出したかったのです。
その証しに『善の研究』は、出たばかりのとき(1911年)はさほど広く手に取られなかったものの、戦後に岩波書店が再刊したときに大変広い波及力をもって、人々の手に取られ、心に入っていきます。
【引用3】
「著作は40歳を過ぎてからにする。30代では著書を出さぬ。年取ってから本を1冊遺せばよい」と家族に話していたとおり、主著『善の研究』は41歳になる年に出版された。しかし、その後も次々と論文を世に出し続け、生涯の著作は十数冊におよんだ。
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こんなに不器用な生き方をしていたのでは、大概は埋もれたままで一生日の目を見ることはないはずですが、良い出来事がありそれが運命を変えたようです。

◎1921年 劇作家・倉田百三が『愛と認識との出発』の中で『善の研究』を絶賛。文系学生の必読書となりベストセラーに。

要するに認める人が現れたということです。
社会的成功とはこんなものでしょう。
思うに、自身は周りが認めようが認めまいがどうでもよかったのです。
生涯「少年」を貫いた人だと思います。
勝手な思い込みかもしれませんが、私はこの本で少し自信が持てました。

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