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盲信→理信→スピリチュアリズム [思考実験]

「東京―リオデジャネイロ間の距離は?」
と聞かれたら、みなさんはどう答えるでしょうか?
詳しい人なら、いや詳しくなくても調べればわかることで、
「18593km」
と答えることでしょう。
でも、それに対して、
「12000kmぐらい」
と答える人がいたらどうでしょう?
頭がおかしいと思うでしょうか?
それならば、
「東京にいる貴方から、リオデジャネイロに住むある人はどれだけ離れているか?」
と聞かれたら、少し迷うかもしれません。
そして、地球を離れて遠くから見ることを想像すれば、お互いにほぼ裏側だから、
「12000kmぐらい」(地球の半径が6378.1㎞)
と答えることに理解を示すでしょう。

最初の状態を振り返ってください。
地表にへばりついている時は、「地球の内部は通過できない」という暗黙の条件(常識という偏見)が前提にあるので、それは思考に上らず、距離と言えば、自動的に飛行距離や航海距離ということになり、離れて見た時の「曲った線」をいうわけです。
この「暗黙」というのが肝心なことであって、「のめりこんでいると意識に上らない」ということです。

「地球の内部は通過してはいけない」
という条件に対して、
「そんなことは言ってないよ」
と言うと、
「なあんだ、そんなことか」
となるわけです。
いわゆる『コロンブスの卵』は、
「殻を潰してはいけない」
という暗黙の条件、偏見を取っ払うことの難しさを言っているわけで、よく言われる「まったく新しいことを最初に思いつくことの難しさ」とは違います。

ならば、新しいことを思いつくというのはどんなものがあるでしょうか?
たとえば、高校の数学で習う虚数ですが、私が授業で教えるときには、
「今日から世界観が変わるよ」
などと言って始めます。
数直線に0と1と-1をとって、
「1にマイナス1をかけると反対側の-1になって、その-1にマイナス1をかけると1になって、その繰り返しだよね」
「でも、それだと、2乗して-1になる数なんて考えられないだろ?」
「半分移動するから0というわけにもいかないし」
「そこで、〈-1をかける〉ということを、〈反対側に直線的に移す〉のではなくて、発想を変えて、〈反時計回りに180度回転する〉と決めるんだよ」
「そうすると、2乗して-1なのだから、ひとつ分は、90度回転とすることができるんだよ」
「そのうちの反時計回り90度回転を虚数単位iとするんだ」
などと説明するのです。
それに対しては、生徒はけっして、
「なあんだ、そんなことか」
とは言いません。
暗黙の偏見を取っ払ったわけではないからです。
「ああ、たしかにそう考えれば、理解はできるけど」
ぐらいで、どちらかと言うと、無理やりそう決めたみたいな感覚でしょう。
しかし、
「iがないとロケットが飛ばないんだ」
と付け足して、けっして空論ではないことを強調すると、受け入れるのです。

言ってみれば、前者(距離の問題)は省察による盲信解除と理信に相当し、後者(虚数の導入)は霊的自覚によるスピリチュアリズムへの意識拡大に相当します。

東京―リオ間を「18593km」と答える人は、そのときは「12000km」と答える人を理解できませんが、「12000km」と答える人は、はじめから「18593㎞」と答える人をひとまず理解できます。
盲信者は自分の盲信に気づかないがゆえに盲信者なのです。
盲信者は理信者をまったく理解できませんが、理信者は盲信者をとりあえず理解はできます。

実数の範囲では、虚数を表現できませんが、虚数を含む複素数の範囲では、実数を表すことができます。

同様に、3次元空間に住む私たちは、通常は5次元の世界を表すことができませんが、5次元の世界を体験する人は、3次元の世界を超越し表すことができます。
唯物論者や盲信者はスピリチュアリズムを否定するだけで到底理解できませんが、スピリチュアリストは唯物論や盲信をひとまず理解し、それら同士の争いを超越します。
(続きがあるのですが長いのでここで切ります)


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