SSブログ

利己主義 [霊的存在]

先週だったか、高2の授業に行くと、教室の後ろの黒板に大きな字で、
「この世はカネと女」
書かれていました。
わからなくはありません。
この世だけのことを考えればそうでしょう。
それにしても、大人ならともかく、高校生が言うのはちょっと淋しい気がします。
それに、このあいだ、私がそのクラスの生徒に向かって、
「損か得か、どこに力があるか、そんな生き方をしていると、薄っぺらな人生になるよ」
「そういうものから離れるために学業があるんだ」
などと諭したばかりなのに。
もっとも、黒板に書いたのは一人の男子生徒でしょうけれど。

昭和49年に帰国した小野田少尉は、変化した日本を、
「利己主義が蔓延している」
と評しました。
ということは、昔の日本はそうではなかったということです。
昔は昔、今は今などと言わないでください。
利己主義は「病気」なのですから。
10年ぐらい前、私は試験監督中に、たまたまその教室に置いてあった三木清の昭和29年の著作をこっそり開いたところ、そこに、
「最近の人にとって、幸福とは社会的成功のことをいうらしい」
という内容が書かれていたのを覚えています。
それから、数年前、テレビで見たのですが、昭和22年当時のある書店にできた行列の写真が紹介され、
「何を購入するためでしょうか?」
「実は、西田幾多郎全集なんです」
とアナウンスされました。
昔の日本人はよく考えていたということが窺えます。

戦後、日本は利己主義と唯物主義に侵され、ますます深まっているといえるでしょう。
逆に、それ以前の日本は、武士道や儒教が浸透していて、幸福とは、命を懸けてやることを見付け社会に奉仕できる人間になること、平和実現に貢献できることだったということです。
それに対して、
「そう言っても、武士道や儒教が浸透していない人間にそう言っても仕方がない」
と言って、その中で自分が巧く泳ぐことだけ、それなりに対処するだけの人がいますが、私に言わせれば、そういう人こそ利己主義者であり唯物主義者だと思うのです。
私は社会がどんな状態であろうと、平和実現のために武士道や儒教の必要性を訴え続けます。
なぜなら、スピリチュアリズムと通じるものがあるからです。
利己主義は唯物論が原因であり、唯物論は霊的真理を知らないことが原因です。
すなわち、「死んだら終わり」だと固く信じていて、自分が霊的存在だということを自覚しないからです。
逆に言えば、一人ひとりが霊的自覚をすれば、自然と利己主義が解け、仁愛に富む平和な社会が実現するはずです。

一つの思考実験ですが、「原発」についてあなたはどうお考えでしょうか?
現在生きている人たちの利益をとりますか?
それとも未来の人たちの平穏を考えますか?

エゴイズム(利己主義)がありのままの状態だと思っていないでしょうか?
たしかに物質界に居る限り誰にもエゴはあります。
でも、生まれたばかりの赤子はどうでしょう?
もちろん、エゴの要素ははじめから内蔵されているでしょうが、そこに後から知性が介入してエゴが発動されるはずです。
もしも、長じてから知性をコントロールできずに暴走を許してしまうと、エゴイズムに陥ります。
しかし、いつからでも知性の反省(省察)を実践することで、理性が生まれます。
意外だと思うかもしれませんが、「無垢」は理性によってもたらされるものです。




哲学・思想 ブログランキングへ

宗教 ブログランキングへ

仏教 ブログランキングへ

人気ブログランキングへ
精神世界ランキング
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0