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常識 [中庸]

常識とは何でしょうか?
良いものでしょうか、悪いものでしょうか?
必要でしょうか、不必要でしょうか?
実際には、良い意味でも悪い意味でも使われているようです。

たとえば、良い意味では、
「あの人は常識がない」
とか言いますし、悪い意味では、
「常識なんて覆せ」
などと言います。
また、中立的なものとしては、
「常識的に考えれば、こうだが・・・」
という言い方があります。
それから、あるグループに限定する場合としては、
「栄養ドリンクは、飲んでも体に吸収されずに出て行ってしまうというのが、薬品業界では常識だ」
などと言います。
これは余談ですが、外国人から、
「日本人にとって常識とは、雑学のことをいうらしい」
と言われているのを聞いたことがあります。
どうやら、入社試験などで、「一般常識」という科目があるのが原因かと思われます。

でも、常識というものがなぜあるのか、社会の中でどんな意味を持つのか、他人にそう聞かれたら果たして答えられるでしょうか?
というのも、私自身が少数派であり、生来、常識など意識して行動していないからです。
そこへ持ってきて、
「常識を知らなすぎるんじゃないですか?」
と、私や周りの人に、まるで常識を黄金の道徳であるかのように振りかざす人がいるものですから、私も考えざるを得なかったのです。

たとえば、
「明日、1時に駅の改札で会おう」
と約束したとします。
もちろん、それは昼間の1時のことであって、夜中の1時に行く人はまずいません。
それは「暗黙」の裡に決まっている「常識」であって、言葉に出す必要がありません。
「昼間のだよね?」
なんて確認したら、かえって常識を疑われてしまいます。
でも、言い方を変えれば、れっきとした「偏見」です。
人間社会では、偏見があってはじめて円滑に事が運ぶといえます。
車線のない狭い道路であっても、「クルマは左側を走る」と暗黙の裡に決まっているから、スムーズに流れるのです。
もし、偏見がなければ、いちいちどうしようかと迷ったうえで、細かい約束事をしなければならなくなり、流れないばかりか、疲れてしまいます。

人は、幼少の頃から、円滑に社会生活が出来るように、また、余計な神経を使わないように、さまざまな「偏見」を植え付けられて育ちます。
物理学者のアインシュタインは、
「常識とは、18歳までに作られる偏見である」
と言いました。
もっとも、これには皮肉が込められていて、物事を常識的に捉えているだけでは新しい発見はできないと言っているようでもあります。
言い換えると、常識的な人や常識を口にする人は、たいがいは多数派であり、常識というものが一つの「偏見」だということに気が付かないものです。
それで、多数派の人は、「常識の罠」に嵌まってしまうことがあるのです。

ともあれ、常識は、意識しないことによってはじめて社会で役に立つといえます。


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