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男の子の涙(1) [霊的存在]

しばらくは、私の子供の頃の出来事を紹介します。
拙い話ですが、お付き合いのほどよろしくお願い申し上げます。

子供の頃と言えば、誰でも感性が研ぎ澄まされていて、その後の人生に大きく影響する出来事が必ずあるものです。
私の場合は、特に、男女の違いや大人への不信が大きな領域を占めています。
私は、二つ上の姉と一緒に育ったこともあって、大人になってから女性に対してそれほど幻滅したという経験はないのですが、女子校の教師をしていたこともあり、やはり男女の違いは決定的なものと感じました。
早く言えば、男の私から見て、女性は、年齢に関係なく、「力関係」だけだということです。
強い者と弱い者、支配する者と従う者、それに尽きます。
他人からの信頼には興味がなく、即物的に地位や立場を欲しがります。
けっして、勝てないとわかっていて権力に立ち向かったり、損することを承知で行動に出ることはありません。
例外は、私の経験では、多く見積もって、50人に1人です。

話は私が小学校6年生の頃のことです。
私の通っていた小学校は、私の学年では1年から3年まで同じクラスで、4年から6年まで同じクラスでした。
当然、クラスは3年間同じ顔ぶれで、わずかに担任の先生が替わるだけでした。
6年の2学期の始まりの学級委員の選出で、候補に私の名前が挙がりました。
当時の学級役員の構造は、学級委員(級長)、副学級委員(議長)、書記、男女各1名、計6名。
選ばれる者は、たいがい勉強ができるとか、活発だとか、とにかく決まって人望のある者でした。
私はというと、勉強も運動もクラスの中では出来ましたし、絵も音楽も得意でしたから、そのへんに関しては、クラスの仲間から一目を置かれていたのですが、人前で話したり、集団をまとめたりするような性格でないことも、同時に知られていました。
ですから、私は前年まで書記や議長ぐらいはやったことがありましたが、学級委員などになることはけっしてありませんでしたし、なるはずもありませんでした。

ところが、6年生になって、私は勉強の面で新しい担任の先生から特に認められるようになり、先生はそれをクラスの仲間の前でしきりに褒めるものですから、自然と学級委員の候補に挙がる雰囲気になってしまったのでしだ。
そして、結局そのまま私は第2学期の学級委員に任命されました。

その日の私は気が重く、教室の中で、終始下を向いて時を過ごしていたのですが、そこへそのとき同時に学級役員になった女の子とその友達がやってきて、なにやら深刻な顔をして私に言ったのです。
「ねえ、斉藤くんに学級委員にならせてあげようよ」
「斉藤くん、泣いてたよ」
普段、人の行動や言動にあまり関心のない私は、はじめ何のことかさっぱりわかりませんでした。
しかし、言われてみて斉藤くんの気持ちを思うと、一瞬のうちに、斉藤くんが泣いていた理由がわかりました。
それと同時に、女の子たちの「誤解」を悟りました。

では、斉藤くんとはどういう人物なのか、説明します。
私とは同じピアノの先生に習っていたため、小学校1年生の頃から顔見知りでしたが、偶然、いや、縁があって4年生のときに同じクラスになりました。
彼は小柄ながらマセていて、進学塾に通っていたためか学校の勉強は余裕で出来ていました。
それで、4年生の最初の学級委員は当然斉藤くんでした。
それからしばらくは、いわゆる優等生でいました。
ところが、5年生の中頃、体育の授業中でハードルに足を引っ掛けて転び、頭を打ってすぐ帰宅しそのまま入院するという事件が起きてから、様子が変わりました。

1月ほど経って彼は復帰したものの、勉強に関しては、どうも冴えませんでした。
そのまま6年に上がり、担任の先生も替わり、クラスの仲間も冴えていた頃の斉藤くんを忘れていきました。
もはや斉藤君は、さほど目立たないクラスの一員となり、自然と学級委員の候補にも挙がらなくなったというわけです。

この時の斉藤君の心中を察すると、プライトを傷つけられたことよりも、周りからの信頼を失ったことがたまらなく淋しいのです。
ですから、けっして学級委員をやりたいのにやれなくて泣いていたのではないのです。
そのへんが女の子には解らないようなのです。
男の子は女の子が思っているより、もっともっと繊細なのです。
もちろん、それを女の子に言っても解らないでしょう。
「女々しい」
とか言われて、誤解されるのが関の山でしょう。
(実際、姉にその話をしたところ、やはり解りませんでした)

概して、男は周りの信頼なしにただ仕切りたいと思うほど、権力欲はありません。
また、学級委員という名前で自分を立派に見せるほどの虚栄心もありません。
あくまでも、自分の成績や周りからの信頼の象徴として学級委員の席が与えられるのであって、それなりの理由がないのにただ学級委員をやっても、それはある競技において、優勝もしていないのに優勝トロフィーをもらうようなものです。

私は、この時ほど、女の子たちが猿山の猿に見えたことはありません。


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