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夢ん中 [霊的存在]

ブログを始めて約4か月半、ここに来てくれている方にはたいへん感謝しています。 しかし、そろそろ出尽くした感じがします。 これまでは定期的に更新してきましたが、これからは、思い付いたときに、あるいは、世の中で何か事件があってコメントしたいときに、お届けしようと思います。 今後ともよろしくお願い申し上げます。 50回目の区切りとして、私の拙い夢の体験談をお聞きください。

〈想念の世界〉
みなさんは、夢の中で、「これは夢だ」と気付いたことがあるでしょうか?
おそらく、一度や二度はあると思います。
私もあります。
数年前、私は、夢を見ていることが完全にわかっていながら、その夢を楽しんで見ていたことがあります。
この時ばかりは、本当にハッキリしていました。
そこで私は、夢に関して世間で言われているあのことを確かめました。
「自分の頬っぺたをつねっても本当に痛くないのか?」
早速つねってみたところ、普段と変わらず痛みを感じました。
また、ある物を持ち上げたら、本当に重みを感じました。
それは、起きているときとまったく変わりませんでした。

人は寝ている間、霊界を旅していると言われます。
もっとも、上の方の霊界は普段の地上生活での感覚では捉えきれないので、それそのものは覚えていないのが当然で、歪んだ形の想念として、夢となって表れ、時には覚えていることがあるということです。

死後の世界の下層の幽界は、想念で出来ていると言われていて、生前と同じように物がそこにあって、同じように手を触れることができるということなので、それを体験したかったわけです。

私はこの夢の中で、登場する人の二の腕をしっかり撫で、触れたその自分の両手の内側をしみじみ眺めたあと、想念の世界が現実と言われる世界と変わりがないことを確信しました。

〈怖い夢〉
怖い夢というのは、誰でも見たことがあると思います。
私も覚えているだけで3つほど特に怖かったものがあります。
いずれも幼少の頃で、ひとつ目は、自宅に置いてある鍾馗様が怒ったようにガラスケースから出てきて、刀を振りかざして足早に歩いて向かってきた夢です。
ふたつ目は、当時テレビで放映されたウルトラQの『2020年の挑戦』(タイトルはあとで判明)を観たときです。
その中の、「ある液体に触れると人が消える」ということが、4歳の私にはたまらなく怖くて、その夜、家の障子の桟からはちみつ色の液体がにじみ出てくる夢を見てしまいました。
そして、何といってもいちばん怖かったのは、10歳頃に見た人魂の夢です。
あまりにもリアルだったので、今でも鮮明に覚えています。
私の家から墓地のある寺まで、真っ直ぐの100メートルに満たない一本道があります。
小学生の私は、夜明け前、その道を墓地の外壁に向って歩いていました。
私のすぐ前には、視界を遮るように、50歳ぐらいの見知らぬおばさんが歩いていました。
おばさんは髪がパーマ、毛糸セーターにモンペ、左手に松明のような棒を上方に掲げ、そのてっぺんには、なんと「火の玉」が黄色く燃えていました。
さらにその前方を見ると、墓地までの薄暗い空気に青白い人魂がひょいひょい飛び交っていました。
その人魂の燃え方といったら、まるであらかじめ決められた通り道を燃える部分が移動していくかのようでした。
そうです、人魂の正体は「リンが燃えることでできる火の道」であり、湿った日によく現れると、その頃、友達から聞いていました。
まさにその通りです。
「それに比べて、おばさんの掲げている火の玉はなんだい」
「漫画によく出てくる丸っこい人魂ではないか」
そんなことに感心しているうちに、私はだんだん怖くなってきました。
「前を歩くおばさんに気付かれはしまいか」
「いや、2メートルしか離れていないのだから、とっくにボクに気付いているはずだ」
と、そのとき、おばさんは急に振り向き私の顔に近づいて、しわがれた声で脅すように言ったのです。
「おまえの魂と交換してやろうか」
語尾がだんだん大きくなり、顔もピントが合わないぐらい大きくなったので、私は「あぁー」と声を上げて飛び起きました。
周りで寝ていた大人たちは、何事かと言わんばかりに目が覚めたものの、すぐに悟ったらしく小声で言いました。
「ああ、夢見てたんでしょ」
その後、何事もなかったように、また眠りにつきました。

〈思念〉
20年前のこと、夢に死んだ父が出てきました。
酒を飲んで酔って帰ってくるところでした。
2週間後にわかったことなのですが、以前、私の家族が一緒に住んでいた家が、父の死後3年ほど空き家の状態で、その建物が取り壊されたということです。
それがちょうど私が夢を見た日でした。

また、3年前、何とも説明がつかない変な夢を見ました。
幾つも連なる丘の谷間に、幅2メートルぐらいの溝が掘られていて、その中の線路が敷かれている光景です。
そして、ひとつの丘の中腹に、横穴が開いていて、その中を見ると、学校で使うノートが収められていました。
「これは何かあったな」
と思って、いつも訪れている「都内のT団地」のブログを見ると、やはりそうでした。
そのT団地は、かつて私の小中学校時代の友人がたくさん住んでいて、老朽化のために、取り壊して、新しい団地(マンション)を建てる計画が進められている所です。
特に親友だったM君がいた27号館には、よく遊びに行きました。
そして、ちょうど私が変な夢を見た日に、27号館は取り壊されました。

地上の物質には、思念というものが残っていて、自分にゆかりのある人や物が崩壊すると、離れていても感じるものです。(夢でなくても他にあります)

〈座敷わらし〉
4歳の頃でした。
母の隣で寝ているはずの六畳の和室を、なぜか隣の部屋から見ていました。
それというのも、障子越しのその和室から、何やら人がいるような物音がしたからです。
周りは薄暗く、明け方か夕暮れ時。
恐る恐る障子を開けると、自分と同じぐらいの歳の男の子が畳の上を両足でぴょんぴょんと跳ねて遊んでいました。
「だれ?」
と私は聞きました。
その男の子は跳ねながら
「ぼく、キンイチ」
答えました。
幼い私はちょっと変な気分になりました。
「シンイチ」なら近所にもいますし、親戚にもいますが、「キンイチ」なんていう名は、それまで聞いたことがなかったからです。
(数年後に「キンイチ」なる有名人を知ることになりましたが、4歳の頃はその有名人が世に出る1年前でしたから、どこからその名が湧いて出たのか今でもわかりません)
やがて夢は閉じました。

かなり大きくなって、「座敷わらし」の話を知りました。
もちろん、それは言い伝えであって、この世に実在するわけではありません。
でも、けっして架空の存在ではないような気がします。
現界(地上)のひとつ上の幽界には、龍とか妖怪とか、日本の昔話に出て来るものがいるらしいのです。
人が寝ている間に幽界に行っているのであれば、それらはれっきとした想念の世界の存在です。
昔、誰かが夢で見たことを、そのまま人に伝えたのかもしれせん。
とすると、私が夢で見た子供が、まさに「座敷わらし」だったのではないでしょうか。


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