SSブログ

平面図形は2次元か? [思考実験]

『太陽の裏側に、地球からは見えない惑星があり、この地球から何人かの人間が宇宙船に乗って辿り着いた。そこはこの地球とそっくり、というより、国も人も全く同じだった。つまり、もう一つの地球があった。ただ一つ違っていたことは、顔も、建物も、文字も、すべて、「左右が反対」だった。こちらから行った人たちがそれを指摘すると、「いや、あなたたちが反対なんだ」と答えた。実は、その星からも同時に、こちらの地球に来ていて、同じことを指摘していた。』
昔そんなSF映画があったそうです。

互いに裏の図形は、重力に支配されているので、上下が固定され、「左右が反対」と言うわけですが、なぜ、裏の図形として区別できるのでしょうか?
それは、以前にも言ったように、前後があるからです。
普段は意識していませんが、視覚に頼っている私たちにとって、図形とは、すべて「手前の図形」です。
前後が反転した「後ろの図形」は見ることが出来ません。
後ろを振り返っても、それはあくまで手前の図形です。
(生まれつきの盲人は両方同時に捉えることが出来ると言われます)

3次元の立体図形は、前後の違いで表と裏の図形が生まれ、重力に拘束されるので左右の反対と表現します。(『鏡に映った姿』を参照)
では、平面図形はどうでしょう。
「互いに裏の平面図形は、2次元では重ならないが、3次元では重なる」
という、いわゆる「両手の問題」ですが、「2次元では」と言うときに、本当に2次元的に見ているのでしょうか?
もし、平面図形が2次元で表すことが出来るのなら、ある三角形を座標平面に貼り付けて、すなわち、縦と横を数値にして、
「頂点が(0,0),(5,1),(4,3)」
などと、表せばよいはずです。(口だけでも表現できます)
ところが、それだと、SF映画の太陽の裏側の人と話が食い違ってしまいます。(仮に「右に」あるいは「左に」と言っても無駄です)
自分から手前の方に見た図形と、向こうの裏から見た図形が違うものだということであって、それは、取りも直さず、厚み0のペラペラな平面図形と言われるものが、あくまでも「3次元の図形」であることを示しているわけです。

甲を同じ向きにして、両手を並べてみてください。
「2次元では重ならない」
というのは嘘です。
あくまでも3次元として捉えているから重ならないのです。
前後の方向が違うから、別のものなのです。
数学でもそうですが、平面図形というものを考えるときに、前後の奥行を無視して考えているつもりが、厚みを0にして一方から見ているだけになってしまっているのです。
むしろ、前後の軸をつぶして(無視して)、手前の図形と後ろの図形(裏側から見たもの)を同一視することによって、つまり、2次元的に見れば「同じもの」となるのです。
「3次元では重なる」
というのも嘘で、正確には、
「2次元では重なる」
です。
動作が3次元空間で自由に反転して行われたように見えるから、「3次元では」と表現したのでしょうが、3次元の図形は一向に重なりません。
両手で試してください。
手には厚みがあるので、手のひらが張り付くだけで、両手は重なりません。
かりに溶け込んでも、一致しません、
平面図形は、厚み0であることをいいことに、表と裏が一致したように誤魔化して見ることが出来るだけです。
表と裏の平面図形が重なるというのは、あくまで前後の向きを無視したということです。

立体であれ、平面であれ、表と裏の図形が重なるのは、前後の方向を「無」(0)にすることで可能になるのではなく、前後の方向を「空」にして可能になるのです。


哲学・思想 ブログランキングへ

宗教 ブログランキングへ

仏教 ブログランキングへ



nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0