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祐気取り [霊的存在]

7日(日)に、「祐気取り(ゆうきどり)」に行ってきました。
自宅(小岩)から真東に100キロぐらい、ということで、場所は自動的に決まってしまいました。
犬吠埼です。
なにしろ、年、月、日、時刻すべてが吉方というのは、長い人生の中でも、そうたくさんあるわけではないので、休日ということもあって無理をして行きました。

「九紫火星の東の吉方」は、才能が認められるとか、体調が良くなり若返るとか、悪い縁が切れるといった効果が表れるとか。
母親に言ったところ、
「あんた、そんなもん信じてるの?」
と、半ば呆れていたので、私は、易者で私の名付け親もあった祖父(母の父)を引き合いに言ったのです。
「九星気学でいう、気の流れなんだよ」
「たしか、お祖父ちゃんが『この子(私)はあなた(母)を守るからね』って言っていたんだんだよね」
「それは、『木→火→土→金→水→木→火』という相生の関係があるからだよ」
「つまり、お祖父ちゃんは、木星(私)が火星(母)を守るということを言っていたんだよ」
母は、
「ああ、そういうことだったのね」
と、今頃になってわかったようです。
「すべては気の流れなんだよ」
「その道に通じている人たちはそれなりの根拠があって言っているのに、通じていない人が何の根拠もないのにそれを否定するというのはおかしな話だよ」
そう言って、何とか納得させました。

というわけで、朝、8時前の電車に乗って、片道約3時間かけてホテルに到着し、早速温泉に浸かった後、メインの午後1時から3時に、現地でとれた海産物(九紫火星の方角ゆえ火を使ったもの)を食べ、地ビールを飲み、海岸へ降りて、裸足になって波打ち際に立ち、しばらく砂と海水に浸った後、すぐにまた温泉に浸かりました。
近頃、祐気取りに関しては、「一泊以上でないと意味がない」という人が多いようですが、出版社の方に聞くと、それは後から(宿泊業関係者が?)勝手に作ったのであって、本来どうでもいい(時間帯が吉ならそれだけで充分)とのことです。
というより、祐気取りそのものがそんなに深刻にとらえるものでもないのかもしれません。

それより、今回、移動の電車の中で、暇つぶしのためにあらかじめ買っておいた「コーラン(和訳)」の文庫本を読み始めたのですが、
「金持ちは欲を控え、貧乏人は適当に金を使うべし」
という箇所が見つかり、やはり、経典や聖典はどれも、「浪費と吝嗇」という一体のものを超越すること、すなわち「執著」から離れることを説いていることがわかりました。

今回の祐気取りで私は約1万5千円使いましたが、コーランの教えを待たずとも、浪費や吝嗇はありませんでした。






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