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五井先生(1) [霊的存在]

『永遠のいのち』〔五井昌久〕の中で、気が付いた箇所をいくつか取り上げたいと思います。

〔抜粋〕「人間の一番重要なことは、生まれてくることと死ぬことです。(中略)永遠の生命的な本性からいきますと、生まれてくることも、あの世へ行くことも本当はおめでたいんです。ただ、おめでたくない生き方もある。それはどういう生き方かというと、心の中にいろいろな業想念、たとえば迷いの想い、恨みの想い、云々」
まあ、自殺でない限り、死ぬことは本人にとってはこの世での修業が一つ済んだのですからおめでたいことでしょう。

そのへんについて私も前著作で触れたことがあります。
あのモーツァルトが、友人が若くして急逝したときに、ロンド(K511)を作曲し、そのとき宛てた手紙には、
「彼自身を気の毒だとは思いませんが、彼の家族や周りの人を気の毒に思います」
と記したということです。
西洋社会にはいかにキリスト教が浸透しているかが窺えます。
死を本人の不幸とすることは、肉体への執着の表れであり、五井先生の言う「おめでたくない生き方」なのでしょう。

そして、さらに、
〔抜粋〕「わけても霊界のあることを信じないで、否定していて、肉体がなくなればそのままでもう人生は終わりだ、死んだら生命があるものかという思いであの世へ行けば、一番不幸せです。死後の世界を否定しているのですから、意識が甦れば肉体の世界に甦ったと思うわけです。そこで肉親や知人にまつわってきて障りになったり、あるいは闇夜の中を歩いてみたり、生命のないところをうごめいている。それは一番恐ろしいことです。」
と続けています。
また、それに関連することとして、一方的な延命主義をも批判しています。
肉体を持ってこの世で生きる意味や死ぬ意味を考えることは不可欠であり、考えないことはとても恐ろしいことです。

それからもう一つ、五井先生は「この世に恩を返す生き方」を勧める中で、第二次大戦後に生まれた世代の人たちの一方的な思想を指摘しています。
「自分の命は自分の勝手なんだ」
という人が多くなったということです。(1971年当時)
以前も取り上げたように、小野田少尉も帰国して、日本に利己主義が蔓延していることを指摘していました。
〔抜粋〕〈権威権力に対する反抗〉「それは誰の罪かというと、親の責任もありましょうが、社会全体の責任なんです。大人が国家とか社会とかの正しいつながりを知らず、利己的な生き方をしているから子供は知らないで真似をする。大部分がそういう風潮で育て上げてきた。昔のように筋の通った、国のために働くとか大義のために殉ずるとかいうんじゃなくて、なんか曲がりくねったひねこびた精神を持っている。云々」
要するに、社会に対する反抗という「ただ一つの主義」です。

たしかに、私より10年ぐらい上の世代の人たちは、とにかく権力はあってはいけない、上下の格差があってはいけない、差別はいけない、自由だ、平等だ、と叫んで行動している印象があります。(「昔の女性は虐げられていたんだ」と男が言っているのです。「昔の女性は働かなくても生活できたじゃないか」という発想が出来ないものでしょうか?)

もちろんそうなったのは、政府にも原因があるわけで、私自身も、今の状態でさすがに「国家の大義」はありません。
しかし、権威や権力に対しては、否定はしません。
媚びないだけです。
「無くて済めば無いほうがよいが、有るものは有る。これは警察と同じで、無いと返って困るから平和実現のための方便として存在する」
と考えたほうがよいでしょう。

何事においても、一方的一面的な思想というのは、地上の攻防にすぎません。
「独裁か民主か」などという地上での押し合いで、良い悪いと片付けてはいけません。
霊的な視点でそれらを超越することが肝腎です。
そのうえで世界人類の平和を実現することです。


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