SSブログ

著作(霊的存在より) [霊的存在]

自分が霊的存在だと自覚することは特別なことではなくて、誰でも(特に幼少の頃に)ある経験だと私は確信しています。
ただそれを覚えているか忘れてしまうかの違いだけです。
【以下本文】

<実体>

〔光〕 物心ついた頃、僕は近所の子供たちと道端で遊んでいるとき、ふと思ったんだ。
「どうして自分の身体しか動かせないんだろう」
「自分はなにか特別なのか?」
また、五歳頃だったかなあ、夕暮れ時の薄暗い家の中で、三面鏡に向かって自分の姿を映してじっと見たとき、突然、妙な気持ちに襲われたんだよ。
「ここにいるのは本当に自分なのだろうか?」
「なんでこんな顔でなければならないのか?」
「もしかしたら自分は別にいて、この顔を借りているだけではないのか?」
それから、これはもっと幼い頃の幽(かす)かな記憶だけど、はじめはもっと宙に浮いた状態だったのが、無理やり床にへばりつくように強いられていったという感覚がしばらく残っていたんだ。
君もそんなこと思った覚えがあるんじゃない?

 〔一郎〕 えー?まさか、そんなこと思うわけがないよ。
 仮に思っても、そんな小さい頃のことなんか覚えてないよ。
だいたい、そんなことを覚えていること自体、稀だよ。

〔光〕 確かに思っても、ずっと思い続けないと忘れるからね。
僕なんかは、今までずっと思い続けているから覚えてるってことなのかな。
でも小学生の頃だったか、たしか君が、
「僕は本当は大人で、子供の頃の夢を見てるだけなんじゃないかと思う時がある」
とか、
「僕たちが死んでもこの世があるんだから不思議だよなあ」
なんて言ってたのを覚えてるよ。

 〔一郎〕 ああ、そんなこと言ったかもしれない。
 まあそのぐらいは、僕じゃなくても子供だったら思うんじゃない?
でもあの頃は高度経済成長の真っ只中、みんな科学万能の物質生活を謳歌してたから、そんなことはどうでもよかったんだよ。

〔光〕 その流れもあって、二十年ほど前までは、そういうのは脳のなせる業だ、すべては幻覚だって言って片付ける雰囲気だったよね。

 〔一郎〕 今でもそういう人いるよ。

〔光〕 でも最近は経済が行き詰まったせいか、真面目に自分の存在を見つめる人が増えてきたようだね。

 〔一郎〕 ただ、思い過ぎて処理できなくて、鬱になったり自殺する人も増えたみたいだけどね。
 そのせいか、スピリチュアリズムも浸透してきたようだけど、どうかな?
 不安からくる一時的なブームのような気もするんだけど。

〔光〕 うん、僕もちょっとそんな気がするよ。
霊界の話や高次元の存在など、願望だけで信じて、表面的な知識を身に付ける人もいるみたいだね。
事実、直感的には霊的な自分を感じたとしても、いざ、「自分の実体とは」と問われたときに、実在論に染まった現代人は、どうしても、自分を特徴づけるものや、自分が自分である証を、客観的なものとして、すなわち外界の「物」として存在することを実証したがるんだよ。

 〔一郎〕 話が難しくなってきたなあ。

〔光〕 じゃあ、「人間の身体を構成している物質は八年で代謝してしまう」という事実を知ってるかい?

 〔一郎〕 ああ、聞いたことある。

〔光〕 どう思う?

 〔一郎〕 自分とはいったい何だ?と思うね。

〔光〕 考える切っ掛けを与えられるだろ?
じゃあ、自分とは何だと思う?

 〔一郎〕 物質ではなさそうだし、物質の組み合わせかな?
 それとも、物質を繋ぎ合せているものとか、肉体に宿っているまだ発見されていないものかなあ?

〔光〕 ということは君もやはり、なにか客観的に実在するもの、まだ知られていない物質が宿っているのではないかと、希望を持つわけだ。

 〔一郎〕 まあそうだな。
 でなきゃ、自分はどこに行ったのか、ということになるからね。

〔光〕 そこでだ、ある外科医が、
「私は何千回も手術をしてきたが、魂なるものを発見したことはない」
と訴えたとしたら?

〔一郎〕 もう、肉体でない自分なんて考えるのが面倒臭くなるね。
スピリチュアリストの言ってることが、なにか戯言のようにも思えてくるよ。

〔光〕 ところがだよ、ついこのあいだ、人の死の直後に体重が約21.5g減るという事実が実験で判ったんだよ。

〔一郎〕 へえー!
 それじゃ、もう決まりじゃないか?

〔光〕 もっとも、この実験と結果は百年前から知られているんだけどね。
それに、何人もの人で実験したんだけど、結果がまちまちで、信憑性が低いらしいんだよ。

 〔一郎〕 なんだ、新発見じゃないのか。

〔光〕 まあ、ここはとりあえず、確かだということにしよう。
それでも、僕にしてみれば、「そんなことで」という感じなんだよ。

〔一郎〕 どうして?

〔光〕 なぜなら、この実験結果で高々言えることは、「人間を構成しているのは、いわゆる肉体だけではない」ということだからだよ。
どうしても僕たちは、人間の本質、その人の実体というものを、なにか客観的なもの、外界の物で説明しようとするんだ。
それじゃ、この実験で体重が減った分の未知の物質を「霊体」と呼ぶことにするよ。
そのとき、その一つひとつの霊体は、誰が受け持つのかが問題になるんだよ。
なぜ僕が僕の霊体なのか、そしてなぜ君が僕や他の人の霊体でないのかを説明できていないんだ。
結局、誰がその霊体なのか、いつまでもその疑問は残ることになるわけだよ。

 〔一郎〕 それじゃ、はじめの話に戻っちゃうじゃないか。
 肉体をただ霊体に置き換えただけだよね?

〔光〕 そうなんだよ。
ああ、ここで断っておくけど、人間の実体は「霊」であって、「霊体」はあくまで衣だからね。
まったく別物だよ。
その人の個性や過去生は霊体に収められていて、霊媒師などはそこから発するオーラを読み取るらしいよ。
そして、どうやら本質の霊は「空(くう)」らしいよ。

 〔一郎〕 えっ?もし本質が空(くう)で、個性を持たないなら、自分をどうやって自覚すればいいんだい?

〔光〕 そうだよねえ。
たとえ、自分という本質すなわち霊が、進化して次元上昇して、ある特定の過去生を持った衣すなわち霊体を脱ぎ捨てても、なぜその過去生を持った霊体に宿っていたのかという疑問は永久に残るからね。
本質の霊は霊体を捨てて個性を失っても、自分であり続けなければならない。
霊は不滅でありながら、水素原子のように個性はなくなる。
そんなことあり得るか?
自分とはいったい何者なのか?
永遠に存在し続ける不滅の存在、神の片割れなのか?それとも悪魔なのか?
学生の頃だったかなあ、僕はね、ベッドに寝そべっていて、そんなことを考えていたとき、急に恐ろしくなって、身震いしたことがあるんだ。

 〔一郎〕 ホント、僕も訳が分からなくなってきた。

〔光〕 ということはだよ、考えられるのは一つ、自分の霊が大きな集合霊に吸収されるということだ。
一つの雨粒が海に吸収されるように。
そして、必要なら、また蒸発して雲になって雨粒になるように、別の人になれるということかな。
そのとき自分とすべての存在が繋がっていて、一体だと知るわけだ。
よく近似死体験をした人が言ってることだよ。
物質界の経験ではないから、何とも表現し難いらしいけど。【註2】

 〔一郎〕 みんな繋がっていても、自分だという自覚はあるというのかい?
 どうも解せないなあ。

〔光〕 このあたりの話は、霊の階層や進化、分霊、集合霊、霊団の仕組みに尽きるんだろうけど。
カットされたダイヤモンドに喩えると、ダイヤモンド本体が主(人格神・二級神)だとすれば、各側面が高級霊で、ある側面が三角形なら、その側面に当たる三辺がそれぞれ集合霊、そのうちのある一辺の端点が分霊、すなわち一人の霊というわけだ。
だから、各々の霊は同一ではないけど、一体なんだ。
一人の霊は、ダイヤモンド本体にとってかけがえのない一つの側面だ。
特定の役割を担う分霊だ。
だから、こうしてこの世で生を受けてるときでも、他と一体なんだということを心得ることが肝心なんだ。

 〔一郎〕 一体だっていうことは掴めたけど、個性がなくなっていきながら永遠不滅だっていうことが、まだよくわからないなあ。

dyamond.JPG

〔光〕 今の喩えをちょっと手直しするよ。
主がダイヤモンドだとすれば、それに含まれる平面や曲面すべてが高級霊で、その各面に含まれる直線や曲線すべてが集合霊、そこに含まれる各点が分霊、一人の霊だ。
そこで、各点は線に吸収されれば個性を失い、各線は面に吸収されれば個性を失い、各面はダイヤモンド本体に吸収されれば個性を失う。
しかしそれでも、それぞれは、はじめから存在し、永遠不滅のかけがえのない役割を持っている。
そして、ダイヤモンド自体は、彫刻家が木材から仏像を彫り出すように、はじめからその中にあったように原石から削り出される。【註3】
原石が本源の神さ。

〔一郎〕 結局、自分とは何者なんだい?

〔光〕 やっぱり、本源という神における一つのかけがえのない側面だよ。
神の子なんだ。

 〔一郎〕 ああ、なんとか腑に落ちたよ。
 でも君はどうしてこんな厄介な問題に取り組むんだい?

〔光〕 覚者から頭ごなしに集合霊だの分霊だの言われて、「信じるか信じないか」で済ますのでは、けっして悟りには向かわないからだよ。
考えるという実践、省察によって、自分の力で深信を得て、地に足の着いた信仰ができることを願うんだ。
それが道だよ。

【註2】個性を失っていっても、自分という自覚がある。
いわゆる実存である。
自分という霊的存在は実存界という大海から分かれた雨水である。
【註3】原石を神とする。スウェデンボルグの霊界体験では、「主」は姿形があり会った人がいるが、その背後にいる「神」には会った人はいないという。インペレーターも「天照大神やキリストのような二級神以下を霊視した者はいるが、宇宙の大精神たる絶対神を見た者は未だない」と言っている。


哲学・思想 ブログランキングへ

宗教 ブログランキングへ

前世・来世 ブログランキングへ
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0