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待機(3) [霊的存在]

ご無沙汰しております。
また、私の周囲の話題からです。
先日の金曜日は、高校全体の球技大会で、授業のない非常勤の先生たちは当然来なくていい。
という論理はかつての学校、いや、みなさんが想像する学校の常識。
ところが以前にも言ったように、私が勤める学校では、非常勤は「(午前中)待機」なのです。
朝から雨または雨模様なら、朝電話で連絡してくれればいいわけで、もしも途中から降ったら、その後は授業はやらずに下校でいいではないでしょうか?

そこで例のごとく、前日の木曜日に「年休願」を出しに行くことにしました。
隣の若い先生がすでに出したようなので、自分もそうしようかと周りの先生に話したところ、定年で非常勤に変わった年配の先生が、低い声で言いました。
「万が一雨で授業が復活した場合の代行の先生を見つけて授業振替をしておいてほしいって、主任が言ってたよ」
もちろん今さらそんなことはできません。
「そうまでして待機させようというのか。なんでそこまで?」
「組織の人間は何をするにも保身が先行するのか?」
「ケツの穴が・・・」
過去の嫌な思いがよみがえり、どこからともなくアドレナリンが湧いてきました。
べつに学校にいるのが嫌なわけではありません。
ただ、物理的に往復3時間で待機が3時間、採点業務が残っていることもあって、無駄な労力と時間を費やしたくないのです。(不満と取らないでください)

私は、「年休願」を出しに主任のところへ行きました。
「これだけではマズいですか?」
と、含んだ言い方で伺いました。
すると主任は、
「いや、いいんですけど、万が一雨が降ったらどうしますか?」
と言うので、私はすかさず、
「その時は来ます」
「朝連絡していただければすぐに行きます」
ときっぱり言いました。
ということで、私を含めて4人が自宅待機と相成りました。
本来なら当たり前のことが、年休を取ってやっとできるという状態です。
それにもし雨なら、年休なのに仕事という奇妙なことが起こるわけです。

みなさん、学校や塾でどんなことが起きているか、これでわかりますよね?

昨日また、塾講師が生徒を殴って逮捕されたという報道がありましたが、そういうことが起きるのも、それを問題にして取り上げるのも、すべて生徒や父兄を「お客様」にして、さらに、間違った神観で「神様」として祀り上げているからです。
なお、その大学生の講師は、殴ったのはともかく、黙って我慢したりしてカネの奴隷にならなかったこと、魂を売らなかったということで、れっきとした社会人だ(霊的に正しい)といえます。
もしそのままにしたら、日本社会の、特に若者たちの拝金主義を促すことになり、社会奉仕の観点から社会人として不正を働くことになるからです。
(その手の生徒は、「この人はカネで雇われているから手を出せない」と足元を見ています。仮に自分がどんなひどいことをしても先生のせいになる〔経営者がそうさせている〕ことを知っています。もはや子供ではありません。終始「カネ払ってるんだからやれよ」という姿勢で、権利を主張するだけです。少なくとも教養を身に付ける場にいる必要がありません。)
また、殴ったことに関しても、周りに迷惑をかける者を放っておくのはむしろ無責任ですから、全体を教える立場の人間として当然だと思います。
(教師をやったことがない人にはわからないかもしれません。客商売では成り立たないからです。)
それに対して、
「それぐらいのことで我慢できないようでは社会人失格だ」
と言う人がいますが、個人の問題だけで済まされることではありません。
世の中に対して何ができるかであって、自己保身先行の「ご立派」ではいけないのです。
社会奉仕をしてはじめて社会人なのです。

私は、拝金主義、唯物主義を排するために、今回の年休自宅待機のように、口だけでなく、行動で示します。
みなさんも、もし機会がありましたら行動してください。

おっと、長くなりすぎて、年休願を出した直後の6時間目の授業のことを言おうと思っていたのをやめます。(次回)


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