SSブログ

霊的人生と結婚 [霊的存在]

『続スピリチュアリズム』の中に「霊的人生と結婚」という項目がります。

《引用》
〔霊的成長を目的とした結婚〕
先にも述べましたが、地上のカップルの大半は霊界ではバラバラになってしまいます。霊界においても引き続きその関係が保たれるような夫婦は、めったにいません。こうした霊界での事実を考えるなら、地上世界の結婚には、それほど大きな意味はないことが明らかになります。一人ひとりが神の子供として自分の魂を成長させることの方がより重要であり、優先されるべきことなのです。“結婚”は、霊的成長という人生の最大の目的にそったとき、初めて意義を持つようになるのです。
地上人生においては霊的成長が最も重要なことであり、一つひとつの行動や営みの価値は「霊的成長」を基準として決定されます。結婚についても、こうした観点から考えていかなければなりません。つまり結婚するかしないかが大切なのではなく、その結婚によって霊的成長がなされるかどうかが問題となるのです。

〔動機によって独身・離婚の是非(ぜひ)が決定する〕
地上人の中には、一生を独身で通す人がいます。この独身人生は、動機によって善いことにもなり悪いことにもなります。「自分の魂の成長と、より清らかな霊的世界を求めるために独身を貫きたい。より多くの人助けのために独身を通したい!」というのであれば、一人で歩むその地上人生は有意義なもの・霊的価値のあるものとなります。概してこうした純粋な動機から一生を独身で過ごす人間(*宗教者や修道者の道を自己選択するケースが多い)は、地上に再生する前にそのように決心して来ていることが多いのです。そうした人は、地上の結婚というプロセスを踏んで達成すべき霊的成長をすでに修了していて、人々への奉仕に専念するために独身の人生を歩んでいる可能性があります。
一方、そうした人間とは対照的に、「一人でいる方が気楽で面倒がない。気ままに好きなことができる。結婚はうっとうしい」といった身勝手な動機から独身を通す人間もいます。こうした人は、地上人生における一番大切なもの(霊的成長のための貴重な体験)を、自ら手離している哀れな人間と言えます。どのような理屈をつけても、それは“人生を本能的に生きたい”というだけのことであり、死後霊界に行ってから大きな後悔に苛(さいな)まれるようになります。
また“自分の好みの相手がいない”という理由で、なかなか結婚しない人もいますが、それは単なる思い上がりか、人生に対する臆病さからの考えであることが多いのです。大半の地上の人間は“結婚生活”という窮屈で苦しみの多い日々の中で霊的成長をするようになっています。結婚すれば、自分勝手な歩みをすることはできなくなります。否応なく他人の面倒をみたり、世話をしなければならなくなります。そして、そうした窮屈な生活によって“利己性”が打ち砕かれるようになるのです。また子供を生むことによって無条件に、自分のことを後回しにする生活へと追いやられることになりますが、それがどれほど霊的成長にとってプラスとなるかは計り知れません。
このように考えると、「他人への奉仕・人類全体への奉仕」という明確な動機から独身を選ぶ人間以外は、結婚した方がよいと言えるかもしれません。もちろんカルマによって“結婚したくてもできない”という場合には、その苦しみがカルマ清算のプロセスになっています。
形だけの結婚生活を続けることが、霊的成長のためにマイナスとなることもあります。世間の目を気にして外見だけを取り繕うような結婚生活は、単なる自己保身・見栄(みえ)であることが多いのです。動機によって独身で通すことの是非が決められるように、“離婚”も動機によって善し悪しが決められます。単に結婚生活を続けることが重要なのではなく、「何のために夫婦関係を維持するのか?」という動機が問題となるのです。
地上的な視野からは不幸に見える結婚生活によって霊的成長が促される人がいる一方で、この世的には申し分のない幸福な結婚生活が災いとなって霊的成長を得られない人もいるのです。
〈終〉

みなさんどうでしょう。
自分がどれかに当てはまるのでしょうか?
それとも、どれにも当てはまらないという方もいるかもしれません。
それより、
「これはいったい、いつの時代のどこの国のことだ?」
と思われる方のほうが多いのではないでしょうか?
そうです。
今の日本には到底通用しない原理です。
なにしろ、「契約」が成り立たないのですから。
おそらく、これはスピリチュアリズム普及会の人たちが行っているシルバーバーチの霊界通信でしょうから当然ですが、本来はそうあるはずです。
日本でもかつては「契約」が成り立っていました。
そういえばその頃、私の高校の大先輩である丹波氏もテレビで「結婚は修行のため」と言っていました。

それでも、経済力のある男性なら結婚されている方が多いと思います。
しかし、「想像してたものとは違う」というより、「意味がない」と感じるかもしれません。
上で述べている「苦しみ」とか「窮屈」とか「愛」とか「奉仕」といった問題ではないと思われるはずです。
それはもはや修行ではありません。
むしろ霊的不正を働いていることの方が強いのです。
少なくとも、今の日本では、お役所に届ける「結婚」は成り立たないからです。
成り立たないものを無理やり成り立たせようとしているところに「不正」が生じるのです。
所詮結婚は、女性が(オモテに出て兵隊として)働かない社会のものです。

私の親戚や交友関係(同年代の男)だけを見ても、上で述べているような段階にも達していません。
小さいサンプルですが、(私を含めて)15人中、既婚者6人(離婚2人)、全部で子供3人。
未婚者10人。
未婚者は、けっして上にあるような「気楽さ」を求めているわけも「好みの相手がいない」わけでもありません。

既婚者も子供を設ける余裕などなく、そのうちのある友人はやはり「結婚は意味がない」と言っています。(洗濯もしてくれないし、料理も「チン」するだけ。今の世の中なら自分1人でできる。良い関係でいられるのは短い期間だけ。)
それならと、いつか私が彼に離婚を提案したところ、「慰謝料が高いから」ということでそのまま。
もっとも、高くてもいいから慰謝料を払って離婚すると決めても、奥さんの方が応じないでしょう。(奥さんにとってはそのままの方が物質的に得だから)
ただひとつ気になる点は、彼の結婚には「世間体で」という理由が無きにしも非ず、ということです。

それから、15人の中の既婚者には、女の兄弟がいないために女性の内容的なものに幻想を抱いていたり、結婚することでしか一般女性と関わりを持つことが出来ない者もいます。
なので、彼らに結婚前に(意味ないと)説得するのは無理です。(修行の機会なのでしょう)

私はというと、収入が充分あった頃から上に書かれているような独身主義者ではありませんし、「希望が高すぎる」との周りの人たち評価はあるものの、好みの相手がいなかったわけではなく、私に言わせれば単に力関係による「全敗」です。
上の通信の中で強いて当てはまるといえば、「結婚したくてもできない」という場合です。
もちろん今は「低所得」というれっきとした大義名分(?)がありますが。
(それどころか、今や自動的な「介護離職」の状態で、日々修行を積んでいる次第です)
いずれにしても、契約が成り立たないのであって、これからも余程のことがない限りお役所に届ける結婚はありません。

最後に、「霊的に正しい結び付き」としての結婚はどうなのか?
もちろんそれが最良でしょう。
縁でそうなるか、自分で探すか、某教会で相手を決めてもらうか、それはともかく、地上で生活する限り、お役所に届けなくてはならない場合もあると思います。
先程の15人の中に古い友人がいて、その人たちは「霊的結び付き」に当たります。
彼はバツ1で子供1人、相手の女性も同じ。
お互い年を取ってからなので、届けは出していませんし肉体関係もありません。
まあ、楽しいことばかりではないでしょうけれど、エゴを克服し支え合っているのですから、霊的成長を果たすには良かったと言えます。

それなら私もどうかと思いますが、小津監督の言葉を借りれば、「母親で間に合ってる」ということになります。
これもカルマ清算のプロセスと受け止めています。




宗教ランキング
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0