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1/8対策 [霊的存在]

奇しくも、今年講師としてお世話になる高校の教育理念が『論語と算盤』であり、創始者が渋沢栄一に傾倒していたとのことです。
4月の頭に、講師の人たちの説明会があり、そのときに創始者伝の書籍をいただきました。
その本の帯には、
「女子の学校といえば女学校という時代にあえて女子商業学校を起こした。今日の女性の社会進出を予知していたかのように。・・・」
とありました。
ただ、渋沢のいう「公益」と「女性の社会進出」がどう関係あるのか、または別のことなのか?
また、
「強欲な経済を否定し、みなが富む社会を作る」
と戦前唱えたことを今取り上げることで、今の強欲資本主義の見直しになるというのか?
私にはその辺が腑に落ちません。

というのも、我々非常勤講師にとって、持ち時間の増減というのは物質生活に直結するのであって、昨年まで週18時間あったのに今年は週16時間というのは、今後の不安を含めて心情的にもかなり厳しいからです。
事情を聞けば、1年生のクラス数が1つ減ったからとのこと。
我々学校の教師、特に講師は、若者相手の職業ですから、子供の減少の影響を真面に受け、人口減少による閉塞感を肌で体感することになるわけです。

昨年度、私が講師を勤めた高校でのこと。
私の隣の席の女性の数学講師は、前職場の学校で3年間専任教師をやっていたときに、そこの男性専任教師と結婚して、職場を移して非常勤を6年やっていると聞きました。
幼稚園生の子供がいて、何か行事などがあるときには、欠勤したり早退したり、大変な思いをしています。
もちろんその女性が専任教師を続けていれば、子供の面倒を看る暇はほとんどありません。
でもどうして、講師をして稼がなければならないのでしょうか?
主人は40歳ぐらいの専任教師なのですから、収入は充分あるはずです。
理由は簡単。
顧客(生徒)の数に対して、労働者(教員)の数が多過ぎるからです。
今私がいる講師室でも、結婚している女性教師が5年も10年もそこで講師を続けています。
まあそれでも、そうして生活結婚ができるのならいいでしょう。
でもそれは、女性だからできるのです。
逆はありません。
その講師室には、20代の若くて能力のある男性が何人もいて、3年も4年も非常勤講師をしています。
もちろんみな独身です。
では、専任や正社員の女性と結婚すれば、と言うかもしれませんが、男が家事や育児をするというのは、口で言うのは簡単ですが事実上無理です。(出産はもちろん、生理学的に育児は女性にしかできません)
だいいち、そのような条件では世の女性は承諾しません。
私も経験がありますが、現在の事情から、誠実さをもって「共稼ぎを条件」に結婚の話を持ち掛けても、出産可能な若い女性はまず受け入れません。
男女が同等に収入を得られる世でありながら、女性は自分が働かないでいられる相手を希望するのです。(それそのものはむしろ神の心に適っているのですが)
もはや女性の立場が強すぎて、一般男性は手も足も出ません。
(それでも女を求めるのが「寄生虫」のサダメ。どうしてもという場合、結局、男は嘘を言うしか手立てがありません。「いずれ実家の財産を分配する」とか、「いつかは独立して自分の店を持つ」とか美味い話をして・・・)

ともあれ、少子化、人口減少は、全国的に歯止めがかからないというわけです。
(政府の「不妊症治療の無料化」など焼け石に水です)

労働者側からすれば、人口が減れば、顧客が減り、さらに労働力も要らなくなるという確信を得ます。
ところが、企業側からすれば、人口が減るのなら、労働力と経済を維持するためにと、老若男女問わず駆り出そうと目論みます。
いわゆるワークシェアリングは、多数の労働者が身を削って価値のない報酬を取り合うだけとなります。
そして、ますます子供ができなくなります。
これは、最近言われている日本の「貧困率ワースト8位」と無関係ではありません。
もし今、渋沢栄一が生きていたらどう思うのでしょう?

⁂(参考までに)
〈給料があがらないのは「無能をクビに出来ない」から? ひろゆき氏発言に賛否両論〉
【キャリコネニュース2021年06月15日 21:01】
それに対するコメントです。
〔投稿者A〕:クビにしても給料上がらん。50代だぶついとる。
これに対して私はこう書き込みました。
〔私〕:給料が上がらないのは、働く人口が多いからですよ。「何とかフリー」のおかげで。所詮ワークシェアリングという企業側の論理で動いていますから。
すると、小山という方から返信がありました。
〔小山氏〕:マスコミと野党と労組が持ち出して、財界と与党がこれ幸いと尻馬に乗った結果です。


いくら「公益」とか「強い国家」と言っても、日本から人がいなくなってしまっては、元も子もありません。
それとも渋沢の思想が人口減少や貧困を食い止めるというのでしょうか?

以前にも一度言ったと思いますが。
私の周囲の同年代の友人や知人あるいは同僚たちを例にとると、その中で結婚している人が半分、その中で子供がいる人が半分、そのうちのほとんどは子供が1人だけです。
単純計算で、一世代過ぎると人の数が「8分の1」になります。
一世代を30年とすれば、90年で「512分の1」です。
もちろん、上の世代が生きていますから、それほど減るようには感じませんが、上の世代はいずれいなくなるので、子供の数だけ計算すればどうなるかわかると思います。

昭和40年頃は、人口が増えすぎて、土地が狭くなって困っているということで、人体を機械で8分の1に縮小して、ミニチュアのような町に住まわせるというSFのような話がTVでありました。〔ウルトラQ「1/8計画」〕
今は、30年で次世代の数が8分の1になってしまうという計算で、その対策をすることになるので、「1/8対策」とでも言っておきましょうか。

ここである学者(作家)の説を簡単に引用させていただきます。
『もうすぐ、日本人が「絶滅危惧種」になる日がやってくる』
〈冗談では済まないこの国の未来〉〔河合雅司教授〕

【引用】
そしてその見方が、気休めのような都合のよいデータをかき集めて、人口減少そのものに全く問題がないかのような幻想を抱かせようとするのであれば、あまりに無責任であり、非常に危うい考えであると言わざるを得ない。
今取り上げるべきなのは、人口の絶対数が激減したり、高齢者が激増したりすることによって生じる弊害であり、それにどう対応していけばよいのかである。経済が成長し続けたとしても、少子化に歯止めがかかったり、高齢者の激増スピードが緩んだりするわけでは断じてない。
先にも述べたように、日本の少子化は簡単には止まらない。このままでは、日本という国家が成り立たなくなる。楽観論を声高に語る人々が、日本という国がいかに危ない状況に置かれているかを知らぬわけはなかろう。見て見ぬふりをするつもりなのだろうか?
われわれは決して楽観論に逃げ込むことがあってはならない。“不都合な真実”であっても目を背けず、それに立ち向かう選択をしなければならないのである。

《日本の人口はやがて2000人に》
人口減少をめぐっては、近年、衝撃的な2つの数値が相次いで公表された。
その1つは2015年発表の国勢調査で、人口減少が実際に確認されたことだ。総人口が約1億2709万5000人となり、5年前の前回調査に比べて約96万3000人減ったのだ。1920年の初回調査から約100年にして、初めての減少となった。
もう1つは、翌2016年の年間出生数が初めて100万人の大台を割り込み、98万1000人にとどまることである。
もちろん、ここ数年で日本が消滅するわけではない。だが、50年、100年の単位で将来人口推計を見ていくと、ぞっとするほど日本人は少なくなる。国立社会保障・人口問題研究所(以下、社人研)が「日本の将来推計人口」(2017年)を5年ぶりに改訂したが、本書ではこの最新データを駆使して、日本の未来図を描いていくことにする。
2015年時点において1億2700万人を数えた日本の総人口が、40年後には9000万人を下回り、100年も経たぬうちに5000万人ほどに減る。この推計はメディアでも繰り返し取り上げられているのでご存じの方も多いだろうが、こんなに急激に人口が減るのは世界史において類例がない。われわれは、長い歴史にあって極めて特異な時代を生きているのである。
人口グラフ.jpg
〔2017年4月に公表された最新データを反映2017年4月に公表された最新データを反映〕

あまり知られていないが、この社人研の推計には続きがある。
一定の条件を置いた“机上の計算”では、200年後におよそ1380万人、300年後には約450万人にまで減るというのだ。世界的に見れば人口密度が非常に高かったはずの日本列島は、これからスカスカな状態になっていくということである。
300年後というのは現在を生きる誰もが確認しようのない遠い未来の数字ではある。が、450万人とは福岡県(約510万人)を少し小ぶりにした規模だ。日本の人口減少が地方消滅というような生易しいレベルの話ではないことはお分かりいただけよう。
この“机上の計算”は、さらに遠い時代まで予測している。西暦2900年の日本列島に住む人はわずか6000人、西暦3000年にはなんと2000人にまで減るというのである。ここまで極端に減る前に、日本は国家として成り立たなくなることだろう。それどころか、日本人自体が「絶滅危惧種」として登録される存在になってしまいかねないのだ。
要するに、国家が滅びるには、銃弾一発すら不要なのである。「結婚するもしないも、子供を持つも持たないも、個人の自由だ」と語る人々が増え、子供が生まれなくなった社会の行き着く果てに待ちうけるのは、国家の消滅である。
「静かなる有事」が暮らしを蝕む
言うまでもなく、人口が激減していく過程においては社会も大きな変化を余儀なくされる。それは、時に混乱を招くことであろう。
日本の喫緊の課題を改めて整理するなら4点に分けられる。1つは、言うまでもなく出生数の減少だ。2つ目は高齢者の激増。3つ目は勤労世代(20~64歳)の激減に伴う社会の支え手の不足。そして4つ目は、これらが互いに絡み合って起こる人口減少である。まず認識すべきは、社会のあらゆる場面に影響をもたらす、これら4つの真の姿だ。
ところで私は、政府や政府関係機関の公表した各種データを長年、膨大に集め、丹念に分析を試みてきた。本文で詳しく述べるが、そこから見える日本の未来図は衝撃的だ。
最近メディアを賑わせている「2025年問題」という言葉がある。人口ボリュームの大きい団塊世代が75歳以上となる2025年頃には、大きな病気を患う人が増え、社会保障給付費が膨張するだけでなく、医療機関や介護施設が足りなくなるのではないかと指摘されている。
だが、問題はそれにとどまらない。2021年頃には介護離職が増大、企業の人材不足も懸念され、2025年を前にしてダブルケア(育児と介護を同時に行う)が大問題となる。
2040年頃に向けて死亡数が激増し、火葬場不足に陥ると予測され、高齢者数がピークを迎える2042年頃には、無年金・低年金の貧しく身寄りのない高齢者が街に溢れかえり、生活保護受給者が激増して国家財政がパンクするのではと心配される。
2035年までに、首都圏でも高齢者が激増!
少子化は警察官や自衛隊員、消防士といった「若い力」を必要とする仕事の人員確保にも容赦なく襲いかかる。若い力が乏しくなり、国防や治安、防災機能が低下することは、即座に社会の破綻に直結する。
2050年頃には国土の約2割が無居住化すると予測される。さらに時代が進んで、スカスカになった日本列島の一角に、外国から大量の人々が移り住むことになれば、武力なしで実質的に領土が奪われるようなものだ。
人口減少にまつわる日々の変化というのは、極めてわずかである。「昨日と今日の変化を指摘しろ」と言われても答えに窮する。影響を感じにくいがゆえに人々を無関心にもする。だが、これこそがこの問題の真の難しさなのだ。ゆっくりとではあるが、真綿で首を絞められるように、確実に日本国民1人ひとりの暮らしが蝕まれてゆく──。
この事態を私は、「静かなる有事」と名付けた。

大人たちは何かを隠している
では、われわれはこの「静かなる有事」にどう立ち向かっていけばよいのだろうか?
出生数の減少も人口の減少も避けられないとすれば、それを前提として社会の作り替えをしていくしかないであろう。求められている現実的な選択肢とは、拡大路線でやってきた従来の成功体験と訣別し、戦略的に縮むことである。日本よりも人口規模が小さくとも、豊かな国はいくつもある。

戦略的に縮んでいくためには、多くの痛みを伴う改革を迫られるだろう。しかし、この道から逃げるわけにはいかない。国家の作り替えを成功に導くには、社会の変化を先取りし、まずもって人口減少社会の実態を正しく知らなければならない。

〈関連記事〉
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誰も逃げ切れない
書店には少子高齢社会の問題点を論じた書物が数多く並ぶ。しかし、テーマを絞って人口減少社会の課題を論じるにとどまり、恐るべき日本の未来図を時系列に沿って、かつ体系的に解き明かす書物はこれまでなかった。それを明確にしておかなければ、講ずべき適切な対策とは何なのかを判断できず、日本の行く末を変えることは叶わないはずなのに、である。
拙書『未来の年表』が、その画期的な役目を果たそう。
〔以下略〕
【終】

みなさんどう思いますか?
河合教授は、人口減少は「必至」だという前提で述べています。
*「結婚するもしないも、子供を持つも持たないも、個人の自由だ」と語る人々が増え、・・・
これは、思想や制度の問題というよりも、日本人から「義」が消えたことを意味します。
(国の要人が「産めよ増やせよ」などと言えば、「マタハラだ!」などと訴えることでしょう)

さらに河合教授は、せめて人々の心が「豊か」でいられるための対策を考えています。
⁑出生数の減少も人口の減少も避けられないとすれば、・・・(略)・・・従来の成功体験と訣別し、戦略的に縮むことである。日本よりも人口規模が小さくとも、豊かな国はいくつもある。

国の目先の経済の維持のために無理やり労働力を確保するのではなく、全体的に戦略的に規模を小さくするという考えです。
日本列島を緩やかに四国にするようなものでしょうか。
今の日本のような急激な閉塞感だけは避けてもらいたいものです。

話は少し変わりますが、昭和の時代を懐かしむあるサイトにこんな投稿がありました。

昭和中盤時代
女子の入社時の念書…
今ならパワハラ セクハラ
大問題
念書.jpg
捉え方の違う時代なのであった。
♂は働き金を持って家族を養う。
♀は家庭を守り家事一般を司る。
何等この時代は問題ではなかった。

これに対して、ある男性(K)からこんな書き込みがありました。

現代は♂がチャンとチャンと金を稼ぎ家族を養えないが故に……♀も働かなければ食えないし家族を養えなくなった。
故に……♂の権威が失墜 ♀が台頭せざるを得なくなった。
男女同権 男女雇用均等
法等々起こるべくして起こった事象。
故に……能無き♂は♀に管理されなければならない[がまん顔]
と、同時に♀と仲良くして子供養育&家庭全般を割り振りしなければならん。
これは……当然至極な有り様なのである。
ここで間違ってならないのは♂が上♀が下と言うような従属な関係ではなく……生活して行く上で♂も♀も同等である。
的、観念論が永久平和構築の根幹にならざるを得なかっただけ……
♂も♀もお互いの得意的ところを援け合って生きなければならないのである。
以下同文

私はそれを見て、「男がだらしなくて稼ぎが少なくなった」みたいな言い方は同じ男として許せなかったのと、「だから女が外で働くようになった」というのは誤りだと思い、コメントしました。

〔私〕:♀が稼ぐようになったから、♂の稼ぐカネの価値が相対的に半減したとも言えますよ。もはや専業主婦は無理。子供も減り、日本人はいなくなります。

すると、K氏から返信がありました。
K: 断言は出来んな[がまん顔]
続いて、Y氏から返信がありました。
Y:2050年には人口が8,000万人に減り、江戸時代に戻ります[冷や汗2]
再びK氏から。
K:だから良いんだよ
原点回帰
(笑ってお仕舞いを意味する絵文字がありました)

みなさんどうでしょう?
人口が江戸時代並みになるからといって、社会が江戸時代になるわけではないのであって、原点に戻るどころか、マイナスに突き進むだけなのです。
一般大衆はそのぐらいの意識しか持ち合わせていないのです。
私は呆れて返信するのをやめました。

たしかに遠い未来のことですから、今の人は人口減少そのものに危機感は覚えないでしょう。
特に唯物論者は死んだら終わりですから、未来のことはすべて「他人事」です。
私は唯物論者ではありませんが、未来そのものに対して危機感はありません。
上述のように、「数より質」や「物より心」を追求するなど、未来は未来でそれなりに対処するでしょうから。
もし私がその頃に生まれたら、今回と同じく、「何か霊的意味があって生まれた」と受け止めるでしょう。
それよりも、上記のような今の一般大衆の精神状態や霊的状態に危機感を覚えます。
今の急激な人口減少は、あくまでこの精神状態や霊的状態の(地上における末端の)反映です。

それでは、500年後、1000年後に日本人の人口が増加に向かうことはあるのでしょうか?
断言します。
「ありません」
理由は単純、出生率が「2」を超える要素がまったくないからです。
多数派の意識を見れば、細かいことを言わなくてもわかると思います。
かくして、「1/8計画」は幻と化し、「1/8対策」は自然消滅します。


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