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無償の愛 [霊的存在]

年末年始も病院は面会可です。
昨年6月頭から私は毎日、一日も欠かさず母に会いに行っています。
7カ月です。(ギネスブックに載るのではないか?)
もちろん母は調子の良い時と悪い時があり、月に一回ぐらいは感染症で熱が上がり、3日間は意識朦朧で話しができません。
今は食事も一日三食から一食へ。
少しづつ衰弱していきます。
母が入院してから1年と2カ月が経ち、途中、3月の下旬に老人ホームに移って10日でまた別の病院に救急車で搬送されて入院したのですが、実を言うと救急車を待っている間の応急措置のとき私は一度覚悟しました。(これで終わるのかな・・・)
以来私は9カ月間覚悟している状態です。(えっ?)
退院して家に帰る可能性も施設に移る可能性もなくなりました。
それでも私は、仕事の帰り、あるいは自宅から、猛暑でも極寒でも雨でも風でも、暗くなっても、病院に通い続けています。
面会の時間は30分と決められています。
その限られた時間で何をするかと言えば、まず、「抑制」という点滴を外さないように両腕を縛っている輪っかの紐を緩めて顔が痒い時に掻けるようにしてあげてから、枕を外して頭を抱えて、ブラシで髪をとかし頭の痒みを取り除いてあげます。
母は意識がはっきりしている日は必ず、
「ああ、気持ちいい」
と言います。
それから、足のマッサージをします。
足三里、三陰交、足裏・・・。
最近は退屈しのぎにと思って、最後にテレビをつけます。
4人部屋なので、イヤホンを耳に付けます。(外れないように、粘着テープを貼ります)
もちろん、そうしている間に会話をします。

私が到着すると、母は決まって、
「ああ、帰ってきたの?よかったぁ」
「やっぱりあなたがいるといい」
「どこ行ってたの?」
などと言います。
私は当然、
「自宅から来たんだよ」
とか
「仕事の帰りだよ」
と事実を言います。
途中の会話はその日によって異なりますが、いちばん多いのは以下です。

母:「死んだらあなたと会えなくなるのがイヤ」
「一緒にあの世へ行こう」
私:「一緒には行けないけど、行く所は一緒だからね」
「あとで一緒になるよ、20年かな、わからないけど」
「それより、先にあの世へ行った人たちがいるでしょ?」
「田島のお母さんやお父さん、伸悟叔父さん、竹下の伯母さん、おとうちゃん、おかあちゃん、・・・」
「そういう人たちが導いてくれるから、言うこと聞いて、ついていくんだよ!」
「あの世ではみんな一緒、というより一体だから」
「絶対にこの世に未練を残しちゃだめだよ」
もっとも、すぐ忘れるので、何度も繰り返し言います。(何十回言ったことか)
時間が来て、帰ることを告げると、決まって言うのです。
母:「どこへ帰るの?」
私:「自宅だよ」
母:「自宅って?」(母は病院にいる自覚がないので)
私:「ここは病院だよ」
母はとりあえず納得すると今度は、
母:「自宅に誰かいるの?」
私:「誰もいないよ」
母:「じゃ、つまんないじゃないの」
私:「つまんないって言ったってしようがないよ、誰も来てくれないんだから」
「そうじゃなくて、病院の決まりがあって、面会の時間が30分って決まっているから」
母:「ああそう、私も一緒に行こうかな」
私:「あのね、一緒に自宅に行っちゃうと、すぐ「キューッ」ていっちゃうの」
「看護師さんもいないし、お医者さんもいないから、何かあっても対処できないんだよ」
「大金持ちなら、専属の医者と看護師を雇って、一緒にいられるかもしれないけど、うちは大金持ちじゃないから」
私は何度もそう言い聞かせてなだめます。
それで、最後に、
私:「また明日来るからね」
「毎日来てるんだから」
「必ず来るんだから心配しないでね」
「もうこれしか方法がないんだから」
「これが最善の策なんだよ」
「というより、これがすべてなんだよ」
母:「うれしい・・・」
そう言って、なんとかその場から離れます。
帰り際に、看護師さんに、
「テレビがつけっぱなしなのでよろしくお願いします」
と断って、病院を離れます。

私は時々自分の日課を振り返ります。
毎日こうしていても地上的には進歩はなく、母が元気になって退院することはないし、私自身も明るい未来があるわけでもありません。
傍から見ると、カラクリ時計の人形のようにただ決まった行動を繰り返すだけです。
それに、終わったら終わったで、厳しい現実が待っているでしょうし、いずれは私も老いて死を迎えます。
その中で唯一、生産的で「生きている」と感じるのは、
「母と会って話したり髪をとかしたり足をもんだりすること」
です。
今の私にとっては、それが「すべて」なのです。
「私の前半生では、母が私に愛を注ぎ、母の後半生では、私が母に愛を注ぐ」
よく言われるのは、結婚して家庭を持って、
「家族に《無償の愛》を与えることによって《霊的進化》を促す」
ということですが、私には妻子がないので、その代わりが母だということです。
「肉親だから出来るのではないのか?」
と思われるかもしれませんが、無償であることことに変わりはなく、それが他の人や他の事に対する「愛」に繋げるようになれば、更なる霊的進化が望めるはずです。
いわゆる《スーパーラブ》です。
それがどの程度のことかわかりませんが、『ヘミシンク』の坂本氏によれば、《スーパーラブ》を実践できなければ、輪廻を克服することはできないと言います。

7年前にM親分がうつむき加減に私に残した真摯なメッセージ、
「お母さん(を)、大切にしたほうがいいよ」
の意味がやっと分かった気がします。
人間とは、
「自分が周りからどれだけ勝ち取るか」
ではなく、
「自分が他人や世の中にどれだけ施すことができるか」
ということです。
それが人生なのだということを、私の今の体験は教えてくれます。

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