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確率 [中庸]

今朝、駅の改札を抜けようと、内ポケットに手を突っ込んだら、定期券がないのに気付きました。
今回で3回目です。
私は暫し動揺しながらも、気持ちを切り替えて切符を買ったのですが、往復1280円の損は痛いです。
「どうでもいいことで、もっと使っているじゃないか?」
と振り返れば、少し楽になりますが、これは自分の不注意であって、自分次第で何とかなることだけに悔しいのです。

そんな私が、当る確率が極めて低いのに、宝くじを買います。
今回も30枚買い、9000円を平気で出しました。
一等が当ったら大きいので、惜しくはありません。
また、一等が当るなど一生に一度もないことですし、自分の力ではどうにもならないことですから、外れても、残念ではありますが、悔しくはありません。
もちろん、今回も900円が戻ってきただけです。

ところで、宝くじの一等が当たる確率って、他に喩えるとどんなものなのでしょうか?
以前に誰かが言っていた喩えを借りると、
「2人の人が、それぞれ1か月のうちの1日を決めて、しかもその日のうちの10秒間だけ決めて、同一の場所(駅の改札)に立っているとするとき、2人が出会う確率」
だそうです。
正確かどうかは定かではありませんが、まあ感覚的にはそんなもんでしょう。

今回のテーマは、「大数の法則」です。
たとえば、サイコロの1の目が出る確率は6分の1のはずですが、実験で確かめると、試行回数が増えれば増えるほど、6分の1に近づくという法則です。
コインで言えば、表も裏も出る確率は2分の1ずつで、実験で確かめると、試行回数が増えれば増えるほど、2分の1に近づくというのです。
でも、試行回数が増えるとどうして、それらの値に近づくのでしょうか?
不思議ではありませんか?
何か見えない力が働いているのでしょうか?
だいいち、本当に近づいているのでしょうか?

簡単な方のコインで考えてみます。
100回、1000回と試行を繰り返したとき、表がずっと出続けることや途中から裏がずっと出ることは、ないわけではありません。(例外のない法則はない)
ただ一言、「難しい」ということです。
しかも、回数が増えるほど難しくなっていくということです。
実際に実験してみてください。
回数を増やすと、たいがいはそういう特殊(?)な世界に入り込まずに、平凡(?)な世界に入り込みます。
その平凡な世界が、あらかじめ想定した「2分の1」なる確率です。
ずっと表が出る世界に入り込むことは、宝くじが当たるという特殊な世界に入り込むことと同様に難しいというわけです。
ただそれだけのことです。
起こらないわけではありません。
(日本人全員で勝ち抜きのジャンケン大会をして優勝するためには、27回連続勝てばよいはずです。そして必ず優勝する人がいます。)

では、本当に(2分の1に)近づくのかと言えば、「近づくと感じる」としか言いようがありません。
特殊になるのがだんだん難しくなること、だんだん平凡になることを、ただ「近づく」と表現したにすぎません。

それからもうひとつ、そんな人はいないかもしれませんが、実際にコインを10000回ぐらい投げてみると、表と裏が2分の1ずつに収束しないと思います。
途中で、表の出る確率が、たとえば「0.500023」に収束していくように測定されるかもしれません。
どんなに精巧に作っても、コインは物質ですから、クセがあります。
ということは、「2分の1」という値は、私たちが勝手に作った「幻」なのではないでしょうか?
サイコロの目の「6分の1」もそうですが、はじめから理想の値が私たちの頭にあるから、近づいていくことが「不思議」に思えるのではないでしょうか?


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