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友人とは [中庸]

もう10年以上前のことです。
ある友人からの電話がありました。
「〇△温泉に行かない?」
「前から行ってみたいと思ってたんだけど、そこ、一人じゃ泊めてくんないんだよ」
私は迷わず、
「ああいいよ。予約取れたらまた」
と返事をしました。

当然、首をひねる人もいると思います。
ちょっとプライドの高い人だったら、
「一人じゃ泊めてくれないから一緒に行ってくれなんて、人をバカにしてるんじゃないのか?」
なんて、怒り出すでしょう。
それほど厳しい人でなくても、私の行動に対しては、
「人が良すぎる」
と思うに違いありません。

損得勘定の長けた人たちに言わせれば、旅行その他の遊びに関してはあくまで自由参加なのであって、行きたい人同士が合流して楽しめばいいということです。
たしかにそれも一理あります。
しかし、私から見ればそれはあまりにも人間関係が稀薄であり、義理人情や侠気に欠けています。
さらに、私の経験からすると、その手の人付き合いにおいては、うまい話で誘っておいて実は人数が増えれば一人当たりの料金が安くなるというカラクリが隠されていて、自分たちが得することが真の目的だったりするのです。
そして、もし行った先で不満でも言おうものなら、
「自分が来るって言ったんだろ」
などと言われるだけなのです。
特に人を必要としていないからです。
要するに、同じ行動をしていても、実は仲が良くないのです。

近頃、強欲のために人を利用することだけを考えるのが流行しているようです。
得だからやる。
損だからやらない。
そういった思想が一方的に支配しているものですから、ますます私のような不器用で武骨な人間は少なくなり、また理解されることもなくなるわけです。

理解されなくても、私は、同じ利用されるなら、困っている人の役に立ちたいと思うのです。
「東に病気の子供あれば行って看病してやり」
「西に疲れた母あれば行ってその稲の束を負い」
「褒められもせず」
「苦にもされず」
そうです、目指すは「デクノボウ」です。
「水は人の悪(にく)む所へ流れる」
老子の思想、道(タオ)に通じます。

言ってみれば、いい人とは「居ても居なくてもいい人」のことです。
最初に言った友人には欺きがません。
遠慮なく自分の弱みを見せ、相手のプライドなどを気にせず本音を言います。
そのほうが、むしろお互いに本音の付き合いができます。
私も余計なプライドを待たず、「いい人(デクノボウ)」でいられます。
そのためか、その友人は主に切符の手配など交通手段を決め、私は飲食店を決めるなど、同じことをするのではなく、それぞれ得意なことをすることで、自然に役割分担をしています。
振り返ると、ほかにも、ある人が困ったときに、私を必要としている人に、私は出来る範囲で迷わず施しています。
(そんなことをしていると、悪い奴に付け込まれる、と言う人もいるでしょうけれど、あいにく私は出来る範囲が限られています)
というわけで、私の交友関係は、武骨者同士ですが、意外と広くて、しかも長いのです。
「困ったときの友達が本当の友達である」
とはよく言ったものです。


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