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輪廻の否定 [霊的存在]

私は、出版社の方から頂いた『スウェーデンボルグの神秘的生涯』(ブライアン・キングズレイク著)をやっと読み終えたのですが、やはり、輪廻転生に関しては、積極的には扱っていませんでした。
と言うより、むしろ否定的です。

〔以下、本文及び訳注より抜粋〕
他界にいる者たちは、いつも彼らが彼らであると語るところの者たちである!ということを当然だと思ってはならない、と彼(スウェーデンボルグ)は警告しています。彼はしばしば、自分が地上のある個人である、とひたすら信じている霊に会いました。彼らは地上の個人の持つ記憶に中へ入って、この人に生き写しとなって具現し、この人の声の調子で話し、この人の言語で話したのです。それゆえ私たちは、私たちの友だちだと称する霊たちが友だちその人であるということをあまり信じないように、と警告されています。霊界でしばらくすると、通常、霊たちは地上で自分が誰だったかということをすっかり忘れてしまうのです。――依然、彼らはその自然的な記憶を保持はしていますが、普通の状態ではこうした記憶を意識していません。(1)
 時おり、ある霊に潜在している地上の記憶が、その霊が連合している人間の記憶の中へ流れ出る、ないし、あふれ出ることがあります。これは、ある人がこの世で前世を思い出していると考える際の「長い記憶」を説明します。このような人はそれを輪廻に帰しますが、しかし事実、それはその人に付き添っている霊の過去の生活なのです。(2)

訳注(2) ここでスウェーデンボルグがはっきりと輪廻転生を否定し、彼の霊的体験を踏まえた洞察から、一般に輪廻と呼ばれる現象を合理的に説明している点に注意してください。

みなさんどうでしょう?
本文から訳注に移るときに、何か飛躍を感じませんか?
スウェーデンボルグは輪廻を本当に「否定」しているでしょうか?
これらのことは「集合霊」で説明されますが、個人A,B,C,・・・はある集合霊の側面であり、それぞれが役割分担で地上経験をし、奥で繋がっている真我の霊的進化を促します。
実際、個人Aの催眠退行で、同時代に生きている個人Bの記憶が出てくることがあるそうです。
類魂ならば、霊的に一体なのですから、地上経験をしていないはずの記憶を持つことは当然でしょう。
霊界においては、なお更そうでしょう。
でも、だからと言って、それが輪廻転生を否定することになるのでしょうか?
では、百歩譲って、ある霊の持つ記憶が、付き添っている別の人の過去世の記憶だとします。
しかし、そこで高々言えることは、「その個人の地上経験ではない」ということだけです。
その個人が、「再び地上に現れない」ということとは何も結びつきません。

よく見ると、著者のブライアン・キングズレイクはスウェーデンボルグ派の牧師なのです。
キリスト教には、輪廻転生はありません。
(エドガー・ケイシーのリーディングによると、ヨハネの黙示録に、輪廻転生を表す箇所があります)

「ないから否定する」
「そこからすべての思考が出発する」
盲信者のお決まりの思考回路ですね。
そこへ持ってきて、お誂え向きのネタがスウェーデンボルグの言葉にあったわけです。
いわゆる「我田引水」です。

また、スウェーデンボルグ自身も、キリスト教の影響はあり、「輪廻転生はない」から出発しているはずです。
あくまで、キリスト教的な地上人として霊界を旅したにすぎません。
表現不可能な高級霊界は表現しようがないのであって、彼は言葉で表現できる範囲の霊界の有様を、自身が影響を受けた地上の言葉で表したのだと思います。
スウェーデンボルグの時代は、まだ今のようなスピリチュアリズムが確立していません。
(もっとも、輪廻を否定するスピリチュアリストもいるようです)

みなさん、だいいち、地上経験が「一回きり」というのは変じゃありませんか?
私たちも、もとは霊界から来たのです。(いや、今でも霊界に生きています)
訳があって地上に生を受けたわけです。
ということは、クリアできずに、またその訳ができても不思議ではありません。(イエスだって、再び地上に現れたではありませんか?)
もし、みんなが一回でクリアできるのであれば、人生に自由意思などないはずです。






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