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少数派と霊力 [霊的存在]

昨年だったか、例の友人が電話で唐突に伝えました。
「今日、不思議なことがあったよ」
「知らないおばさんがオレの顔を見て、『あんたが30代の時に新しい友達ができたでしょ。その人はすごく霊力が強い人だよ』って言ったんだよ」
「だって、それってハセガワさんしかいないじゃん」
(事実、例の友人と私は同い年で、共に36歳の頃に某芸能学校で知り合いました)
私は彼にこう言いました。
「そういうのが見えちゃう人っているんだよ」
「いわゆる霊媒体質の人なんだけどね」
以前にも言ったように、彼はキリスト教の(盲)信者であり、通っている教会で、「霊媒師というのはみな低級なものあるいはインチキだ」と固く教えられているのです。
先の運命学と同じ扱いで、聖典にないから「否定する」という原理主義です。
それが、霊媒師らしきおばさんに過去の自分の経験をズバリ言い当てられて、しかも、その霊力の強い人というのが、よりによって思考を預けている(盲信している)教会の敵である私なのですから、二重のショックだったと思われます。
ともあれ信念が自身をもって崩されたようなものですから、盲信から抜けるいい切っ掛けになると思ったのですが・・・。
前回の通り、「ずる賢く生きよって、聖書にも書いてあるよ」と言う始末です。 
それにしても、霊能者でも霊媒体質でもないこの私が「霊力が強い」とは、いったいどういうことなのでしょうか。

記述のように、私は物質的な境遇や社会的立場という点では、けっして少数派ではありませんが、霊的にはどう見ても少数派のようです。
まあ、それが友人の言う「霊力が強いこと」になるのかということです。
今回はそのへんを絡めて、「民主」について、冗長覚悟の上で述べてみたいと思います。

今朝TVで、池上氏が古代アテネの民主主義をお手本として持ち上げていました。
でも、今のアメリカの人種差別社会や日本の文化の消えた格差社会を見て、それでもなお民主主義がそんなに良いものだと言うのでしょうか?
古代アテネは民主制だからこそソクラテスやプラトンが生まれたのです。
彼らにとって民主制は君主制の堕落にすぎません(霊主肉従→肉主霊従)
ヒトラーは民衆が作ったのです。
また、学校がブラックだの何だのと言われて何年も経ちますが、マスコミで取り上げられているのは、勤務時間とか重労働とか、要するに目に見える「待遇」の面ばかりです。
しかしそれは、突き詰めていくと、教師の権威や権限が奪われたことの反映です。
私はたまらず口をはさみました。
そこで、今回はある方々の投稿を使わせていただきます。
最初の題材は、周知の事情で、もう半年近く前のネットの書き込みになります。

【A氏の投稿】
ここまでブラックな職業も凄いね。先生を敬わない国に未来があるかね?
㊤3748 ㊦298
それに対して、私は返信しました。
【私の返信】
教師は「道徳的に立派だから敬われる」のではありません。
初めから敬われる「立場」なのです。
でなければやっていけません。
儒教のように幼少期に刻み込められるべき「折り目」があってこそ、人は考える「余裕」が生まれるのです。
「民衆が偉い人を決める」というのは民主制の最大かつ致命的な欠点です。
なぜなら民衆の多くは地上的な善悪を持ってのみ人を評価するからです。
㊤12 ㊦33
【B氏の返信】
教師だからといって尊敬しなければならないというわけではないが、少なくとも尊重すべきでしょう。昔は教師は立派な学士様だったが今は保護者のほうが高学歴で教師を下に見る。家庭でするべきことを学校に丸投げ、子供の前で教師の悪口を並べ、子供は教師をバカにするようになる。学級崩壊はそうやって起こる。教師を大切にしない国に未来はない。
㊤9 ㊦2
【C氏の返信】
学校の先生を尊敬するべきは、まず親。
でなければ、子どもが先生を尊敬するはずがない。
そして、学校の先生が尊敬されていない社会は、早晩瓦解する。
誰もが誰も尊敬できない社会の帰結は、他者の排斥しかないから。
㊤12 ㊦4
【D氏の返信】
儒教に触れてる方がいたが、儒教は徳川家が封権社会を作るために林羅山を起用し広めたのであって、あまり好きでない。為政者の都合の良い社会を作りたいのならば、儒教を広めればいい。それこそ、考える機会を失わせ、陰で悪事を働く老人であっても若者は敬い、犯されていく社会になろう。
㊤38 ㊦2
〔投稿終わり〕

D氏及び賛同する方たちは、神道が国の軍に利用されて戦争を起こしたから、またはカルト教団が生まれてテロを起こすから、宗教はいけない、という短絡的な思考の人と同じ思考回路です。
宗教が組織に利用されるのは、いつの世もどこでもあることで、今もそうですし、盲信の一つですから、もちろん私も盲信を排除すべく活動しています。
儒教(論語)も同じです。
しかしだからといって、宗教や儒教が危険だとか必要ないということになるのでしょうか?
いえ、盲信でない限り必要不可欠です。
C氏が言っていることがまさに儒教(論語)なのです。
戦後生まれ、今の50代ぐらいまでの日本人が当たり前のように刻み込まれていた思想で、特別なものではありません。
今も中国人や韓国人に浸透していて、私が知る限り、普通の人が良く考えています。
最近は私が授業で担当する学級に、一人ぐらい中国人の生徒がいることがありますが、学業が優秀かどうかはともかく、みなきちんと話を聞き、しっかりした考えを持っています。
周りの大方の日本の生徒のような「この先生の前では自分が勝手な行動ができるかどうか」と人を見る幼稚な思考は微塵もなく、中学生でも高尚な話ができます。

それに対して、D氏及び賛同する方たちは、間違いなく今の日本の学校の現場を知りません。(体験者以外は言ってもわからないので詳細は控えます)
勾配のないどぶ川を想像してみてください。
折り目や落差がない状態というものが、いかに自己防衛で思考に余裕がないか、また、知恵を授ける者や考えるきっかけを与える者がいないか、すべてにおいていかに物理的に事が運ばないか、この方たちは身に染みて知ることがありません。(もっともそれを知る人は限られていますが)
だいいち、「考える機会」と言いますが、私が再三言う「考える」とは全く別です。
地上的な悪事を撤廃するとか、そういう地上的な「解決」ではないのです。(性善説の履き違え)
考えるとは、地上道徳的なことを超越して、霊的視点で社会や人生の意味を捉えることです。
為政者というのは、まさにそういう霊的存在であるべきで、例えば昔の日本の政治家などは、地上的に悪いこともしたかもしれないのですけれども、一本通ったことをしていました。
今の日本国民も、そういう高い視点で政治家を見るべきではないでしょうか。
それを思うと、D氏の賛同者が多いということは、現在の日本人の多数派がいかに「考える」ということを履き違えているかが窺えます。
それから、
「そうは言っても現実に儒教や武士道が浸透していないのだから、それなりに別の方法で対処すればいい」
という人もいるでしょうけど、それは、
「秩序が崩れているのだから、自己防衛のために銃を持つ」
という自己責任の発想と一緒で、永遠に平和は訪れません。(アメリカを見ればわかると思います。そしてそれを学校に置き換えてみてください)

〔話題が変わります〕
次に、つい最近、自粛が緩んで老人たちの間にクラスターが発生したことに対して、ネットでは話がそれて老人たちに矛先が向けられ、さらに選挙や政治家がどうこうと話が発展していました。

【甲氏の投稿】
結局高齢者なんだよなあ
若者よ、選挙いこう。結局、若い人が選挙行かないから、選挙に行く高齢者向けの施策ばっかりやる政治家が溢れてるんだよね。
若年層の投票率が上がれば、自分達が住み良い日本に変えられるんだから。
㊤5892 ㊦301
【私の返信】
話題がそれていますが、毎回のように言わせていただきます。
自分に有利な人に票を入れる。
それで多数決。
そんなことをしていたらいつまでたっても少数派は浮かばれません。
全体の和を唱える候補者に入れるべきです。
上に立つ人とは、けっして能力のある人ではなく、欲のない人です。聖人や哲人でなければなりません。
いいことを言って自己中の国民の票を集める人であってはいけません。もしそういう候補者がいないのなら、選挙に行かないほうがよいでしょう。これが民主制の末路です。
今の若者は少数派ゆえに、常識の罠にはまらず、その点を冷静にとらえることができるのです。
㊤4 ㊦10
【乙氏の返信】
日本の国会議員はヒドイからな。
市議だって汚職まみれだし。
若い人達が政治に興味がわかないのも
仕方ないよ。
ただ、政治を知ろうとしなければ
汚職まみれで老人天国なのは
解消されない、って思うよ。
㊤6 ㊦0
【丙氏の返信】
年寄りの年寄りのための政治になってるからね。彼らは次の世代のことなんか考えてない。今の自分のことだけ。選挙に行かなきゃ食いつぶされちゃうよ!
㊤10 ㊦5
【丁氏の返信】
年金カットしてどうするの?
それで困るのは貯蓄の無い老人とそれを支える子供世代でしょ
そして将来自分の手でカットした年金で生活する子供世代を支える孫世代って感じで負の連鎖になる可能性高いけど大丈夫?
若者の投票率増加で貧困の連鎖起こすことが望みなの?
㊤5 ㊦5
〔投稿終わり〕

どうでしょう。
概して、他の投稿者たちは、力には力という地上的な攻防に終始していて、自分たちが有利になるにはどうするかというあくまで自己中心的な思考に留まっているようです。
そしてそれに賛同する人のほうが多いというのが事実です。

わかる人はわかると思いますが、私はどんな場合でも「霊的視点」に立って投稿しています。  
そして、霊的視点をいかに設けることができるかを考えているのです。
もちろん、少数派です。
わかる人はわかるのですが、少数派です。
なので、ご覧のような評価を受けます。
ここに来てくださる皆さんも、おそらく、何らかの機会に少数派の評価を受け、もどかしい思いをされたことがあると推察されます。
でもそれは、霊力の強い少数派ゆえの宿命です。
以前にも言いましたが、多数の㊦に絶望するか、少数の㊤に光を見るか。
当然後者です。

昨今の人種差別に対する抗議運動を見てもわかると思います。
目に余る暴動行為に対して、殺害された人の弟をはじめ、黒人たちの中にも、
「こんなことをしても何の進歩もない。別の方法を考えるんだ」
と仲間に訴えかける人が増えています。
また、白人の間でも、人種差別に対してもっと高い視点で解決する必要性を称える人たちがたくさんいます。(でもまだ少数派です)
要するに、「力に対して力」では何の進歩もないということです。
それは選挙でも同じことです。
繰り返しますが、「自分にとって有利か不利か」の思考や行動では、同じことの繰り返しであり人間社会に何ら進歩をもたらしません。
特に為政者はそれを超越した高い視点すなわち霊的視点で物事を考えて行動するのが前提であり、為政者を選ぶ国民もそういう霊的視点を設けて行動しなければ何も変わりません。
けっして地上的に立派な人間の模範ではないのです。
地上道徳的な善悪にのみ焦点を当てて人を非難するのはもうやめませんか。
そうでないと上に立つ「先生たち」は身動きが取れません。
これでは成熟しない民主制社会のままです。
高い視点に立つ人が少数派のままで、それで多数決では変わるはずがありません。
私が選挙に行っても意味がないと言っているのはそういうことで、民主主義そのものに反対しているわけではありません。(実際選挙に行くことがよくあります)
ただ、「民主」が「肉主」になってしまっているのです。
今のままでみんなが選挙に行って投票しても何も変わらないと言っているのです。
まず、為政者も一般国民も、すべての人間の意識が進化する必要があります。

私の活動は、どこかの団体のように政治的地上的な力を方便とすることはなく、一人一人に問いかける理性を介したスピリチュアリズムです。
ある科学者が言うように、真理はいつも少数派から生まれます。
役割を自覚して続けていきます。

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