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無題

ひと月半ほど空いてしまいました。
私事を打ち明けるのは当ブログと無関係あるいは目的に悖るのではないかと思い、躊躇していました。(自身の気休めみたいなものなので流してください)
その間私は何をしていたかというと、専ら物質生活のための仕事探しです。
おもに教える仕事です。
「また懲りずに」
と思われるかもしれませんが、母親のこともあって、朝出て夕方前に帰って来られる仕事でわりと稼げるもの、といえば、どうしても「先生業」なのです。
可能性が低いとわかっていて、2つばかりあった講師の求人に応募しました。
それと、ネットから塾関係。
また、17年前に卒業した日本語教師の学校に再受講しながら、数学の授業もあるという理由で某日本語学校のネットの求人に応募しました。

6月中旬まで粘りましたが、結果的に面接にも行けませんでした。

「ほかの仕事を考えればいいじゃないか」
と思う人もいるでしょう。
もちろん考えました。(警備、マンション管理、整体、)
警備員は、先日も説明会に行きましたが、夜勤があったり拘束時間が長かったりして、自身の腸の調子(腸過敏症候群)や母親のことを考えると躊躇してしまいます。
まあ、この先うまく繋げたとして、老後この国で「死ぬまで働く」にはいいかもしれません。
マンション管理は、義理の兄(65)もやっていて、時間が割と短く、朝出て夕方暗くなる前に帰れるので都合がいいのですが、面接に行ったところ、なにせ手当てが安く、長く務めるのが原則で、所詮は年金受給者がやる仕事だということで、これも保留。
焦りからか、ヤケクソでネットの求人からマッサージ店(2つ)の応募をクリックしたところ、1つは即座に携帯電話に掛かってきて、2日後面談の予約。
その後2つ目もすぐに掛ってきて、3日後面談の予約。
(よほど人手不足なのか?)
1つ目〔r〕は「肘」を使えないのと、経験者であっても60時間の研修で1月かかるとのことで出直し。
2つ目〔g〕は「肘」ありで、私の施術を確かめたうえ、
「今のままでは厳しいけど3日間の研修で何とか」
と言われ、できそうでしたが、やはり夕方から夜の時間帯でないと稼げないということと、体力を使う仕事ゆえ、心配事があっては務まらないと思い、結局保留。

結局、私はあらゆる意味で中高の数学講師しかできないということがわかりました。
しかしその頼みの綱が切れかかっている(人余り)のでどうにもならない状態です。
がむしゃらにやってしまうか、運を天に任せて待っているか、どちらかになってしまい、身動きが取れません。
こうしているうちにも、去年の収入相応の保険料や都民税がドカッと来てしまい、想定外のパソコン故障による買い替え等で急激な貯蓄減、それによってプラチナの損切を余儀なくされ経済的困窮が現実味を帯びてきてしまいました。(2年後には破綻?)

私の人生で物質生活のことでこんなに悩むのは初めてです。
(みなさんはどうされていますか?)
もちろん過去にも挫折はありました。
1984年、大学最後の年は、プロの学者の道が閉ざされて失意のどん底の中、彷徨っていました。(力不足というより意識不足でした)
それでも当時はいくらでも口があったので、働きながら道を得るという望みを持ちました。
2000年、専任教師を辞めたのは、金銭より魂の自由を選んだだけのことであって後悔していません。
まあ結婚して家庭を築く道が閉ざされただけのことです。
退職直後は本当に仕事があるのか不安でしたが、やがて非常勤で最低限の生活はできるという確信は持てました。
それによって、ストイックな生活を強いられたのかというと全然そうではなく、食べたいもの食べ、やりたいことをやって、著術や芸術など文化的活動もできる範囲内でやってきました。
人助けもしました。
希望通りとは行きませんでしたが、それなりに充実した人生を送ることはできました。
「これまでは」です。
それが、ここへ来て想定外のことが起きてしまったということです。
しかも予想より早く。

恒産無ければ恒心無し。
貧すりゃ鈍する。
まさにその通りです。
物質的精神的に最悪の状態です。
霊的には「向上するプロセス」とも取れますが。〔歳寒くして、松柏の彫むに後るるを知る。『論語』〕

「もっと前から考えておくべきだった」
とおっしゃる方も多いと思います。
たしかに、絵も歌も習わず、本も出さず、整体や日本語教師やその他にカネをかけず、知人の出世のために義理で研修に出たりせず、友人に貸したりせず、何もせずにカネを貯めていれば、某政治家が言うように今頃は心配なく悠々自適の老後が約束されていたと思います。
でもそういう人は、動けるうちに何もしない「超堅実な人」であり、神から遥かに遠い地上の住人です。
私としては、そんなことを計算せずに文化的霊的活動のために金銭を惜しまなかったからこそ充実した人生が送れたわけであって、何ら後悔はありません。
でも正直辛いです。

それから、
「そんなことを言っていられるだけまだマシだ」
「もうすでにギリギリの人だってたくさんいる」
「母親のことよりも自分を優先すればいい、そのほうが母親のためでもある」
などと、言われる方もいらっしゃると思います。
母親自身も、
「私のことはいいから・・・」
と口先では言います。
でも、そう言いながら毎日のように、
「頭がふらふらしてめまいがする」
「歩くと倒れそうで危ない」
「胸が苦しいからちょっと横になるね」
「1日に1回は外に出ないと歩けなくなるから表に連れてって」
「あなたがいなくなると不安で胸がドキドキするの」
などと訴えるのです。
そんなことを聞いて、夜まで家を離れて仕事に集中できるでしょうか?
医者から出された薬を自分で飲むこともできませんし、携帯電話の充電後にケーブルをつまんで外すのも困難です。
ダメを押すように、2年前のM親分の遺言、
「お母さん(を)、大切にしたほうがいいよ」
が、表情とともによみがえります。〔今夜も~聞こえる~、あーの声が~『水色のひと』〕
もちろん、毎日ヘルパーに来てもらうとか施設のお世話になると、膨大な費用が掛かりますし、母親自身も嫌がります。
結果的にまた「介護離職」の形になってしまっているわけです。

厳しい人からは、
「母親のことを口実に、怠けているにすぎない」
と言われるかもしれません。
守護霊からは、
「地上的苦難によるカルマ解消もいいが、お前にはやることがあるはずだ」
「真理の普及のために生まれてきたということを忘れるな」
と忠告されているような気もします。
無難な人生は意味がないとはいえ、もう少し苦難が軽減されないものでしょうか。


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