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5次元世界 [霊的存在]

みなさん(?)暑いところをわざわざ来てくださってありがとうございます。
気長にお付き合いください。

夏季休暇ということもあって、平日に姉が来ました。
いつものように姉は母と私に昼の食事を買ってきて、近況を語り母の認知症を一緒に嘆いていたのですが、点いたままのテレビで、たまたま沖縄の食べ物を紹介していたので、その話になりました。
姉が言いました。
「私は沖縄にはあまりいい印象はないのよね」
「だって、食べ物が合わないんだもん」
「良かったのはゴルフ場だけ」(会社の関係でゴルフに行くのです)
「いったい沖縄のどういうところがいいって言うの?」
私は一瞬言葉に詰まりました。
本当なら、
「食事は自分には合う、空気が違う、真夏は東京より熱くない、ただ青い海を見ているだけでいい・・・」
と言いたいところですが、説得力がなさそうなのでやめました。
沖縄には30代から40過ぎ頃にはよく行っていて、計10回ぐらいですが、一緒に行く仲間は同期の英語教師Nさんか高校時代の友人ぐらいで、自分一人で行ったこともありました。
でもそれ以来、20年近く行っていません。
理由はおもに経済的なこと。
今は母親の面倒でそれどころではなく、温泉にも行けません。
それにもう一つ、一通り経験したので新鮮味がないということです。
そこでやっと思いついて、姉にはこう言いました。
「今はもうそんなに行きたいとは思わないよ」
「経済的な理由で楽しめないし」
「30代の頃は経済的に心配なかったからね」
「Nさんと宮古島に行った時なんか、費用が高かったんだけど、何とも思わなかったよ、東急が仕切っているから高いんだとNさんに言われて、やっと意識したくらいでね」
「だから、何をしても楽しめたし、初めてのことばっかりで新鮮だったのもあるしね」
なにやら消極的かつ退廃的な言葉が支配するようになりました。

そうこうしているうちに3時になり、買い物に行くため、2階へ行って着替えをしていると、固定電話が鳴りました。
1階に居る姉が応対しました。
どうせどっかの業者だろうと思っていたのですが、どうも違う様子でした。
なんとNさんでした。
いつもは夜の8時頃なのに、この時間帯に掛けてくるというのはどういうことか?
話はいつもと変わらず、食事に行くことでしたが、今年3月にNさんに伝えた「年金」のこともありました。
「月収が47万を超えなければ厚生年金の分をもらえる」
という新しい情報です。(今年4月から、限度額が28万円から47万円になったのです)
そのときは「専任教師はダメだ」と伝えられたのですが、どうやら今になって、その一部がもらえたそうで、その報告もあったようです。
私は、ともかく「よかった、よかった」と言って、電話を終えて買い物に行きました。
途中、熱いので喫茶店でアイスコーヒーを飲んでいると、ふと不思議な感覚になりました。
「あれっ?これって、いつかも同じことがあったなあ」
そうなのです、半年ぐらい前にも母親との会話の中で、
「Nさんって、何でも形にして結果を出してしまうところがすごいんだよ」
などと話していたら、1時間後にNさんから電話が掛かってきて、食事の誘いがありました。
そのときも私は偶然とは思えませんでした。
なぜなら、Nさんの話題を口に出すのも、Nさんから電話があるのも、多くて3か月に一度ぐらいだからです。

そこで、たまたま10年前に買って読んだそこにある本を開いたら、関連することがあったので紹介します。

【『5次元世界への超扉(エハン・デラヴィ)』より抜粋】
〈共時性(シンクロニシティ)は主観的な世界と客観的な世界のあるつながりを見せてくれる〉〔ユング〕
すべては心の反映です。
自分の毎日の体験はすべて心の働きであり、それこそ般若心経の世界、仏教の世界です。
病気も、事故も、不幸も含めて、起こることは、すべて自分の心の反映です。
(※)偶然は、まったくありません。
シンクロニシティとは、そういうことを常に意識することです。
意識のレベルが高くなればなるほど、すべてが「共時性」というレベルになって、それよりさらに上のレベルになると、すべてが神になります。
・・・・・〔略〕・・・・・
何も起こっていないという心境を私たちは想像できない。
自分の心がすべてを引き起こしていることを自覚できるレベルになると、自分の行い、一つひとつの発想にものすごく責任感が生まれて、注意を払うようになります。
私が以前見かけたきれいな女性のことを思い出していたら、友達と一緒にレストランから出てくる彼女と出くわした。
それがシンクロニシティです。
「それは偶然だ」と思うかもしれませんが、そうではなく、私はそういうことに注意を払ったわけです。
・・・・・〔略〕・・・・・
(⁂)5次元も中間の次元にすぎず、その先がまだまだあるのです。
アセンションの後に展開されるはずのシンクロニシティ文明は、日本人にはすごくよくわかるはずです。
日本には、「袖すり合うも他生の縁」とか、「一期一会」という言葉があります。
(*)英語には「縁」に相当する言葉も、そういう概念もありません。
日本人がなぜそういうセンスを持っているかと言うと、日本人はシンクロニシティに敏感な素質を持っているからです。
だから人との付き合いを非常に大切にする。
・・・・・〔以下略〕・・・・・
【終】

(※)偶然はないということは、すべては必然だと言えるかもしれませんが、必然という意識もなくなって(即非)、溶け合って「(霊的な)法則」となることが神の領域です。
上記の他にも、想像していたことが現実に起きた(良いことも悪いことも)ということが私には何度かあります。
(*)これに関しては、英語に「pretend」という語があります。
これは〈引き寄せ〉だと思うのですがどうでしょうか?
(⁂)5次元といえば、パラレルワールドの存在を証明(?)した女性物理学者リサ・ランドール博士を思い出します。
そのへんのことをエハン・デラヴィ氏はこう説明しています。
【抜粋】
パラレル次元、パラレル宇宙があるということは、私たちはこの3次元だけでなく、他の次元にも同時に存在していることになります。
(⁑)この次元における自分という存在は、氷山の一角がたまたま海の上に出ているだけ。海中のパラレル次元にはずっと存在し続けているということです。
だから、私たちには、もともと多様な側面があり、そのことをこの次元にいる自分が自覚していないだけなのです。
・・・・・〔略〕・・・・・
同じ魂が何度もこの次元に生まれ変わるという、いわゆる輪廻転生という考え方には、実は私は深い疑問を持っています。
幼児の前世の記憶の正しさや天才たちの実例を挙げて輪廻転生があることを証明したりします。
もちろん事実を否定したりしません。
でも、別のアプローチもある。
それは多次元というアプローチです。
つまり、1つの魂がパラレルで複数の次元に同時に存在し、すべての体験の記憶にアクセスできるならば、クレオパトラの記憶はあなたにもあるといえるわけです。
(⋆)現代人の60%以上は輪廻転生を信じていますが、それは多次元の記憶かもしれないということです。
輪廻転生はあるのかもしれないし、ないのかもしれない。
多次元意識論でいえば、それはどちらでもいいことです。
【終】

(⁑)これは樹の枝のように大本ではみな繋がっているという古来の考え方で、真我と偽我、潜在意識と顕在意識、大河の一滴、海と波、人間と神などといろいろ表現されていて、臨死体験者が「何とも表現しようがない」と言い、高級霊が「肉体を持った者にはわからない」と言うように、地上ではまず体験できない境地です。
(⋆)退行催眠でまったく関係ない人の記憶が出てしまうことは以前にも言いましたが、それはあくまでも、奥で繋がっていて記憶を共有しているということであり、その実体(アートマン)が幻だとか消滅するという結論には至りません。
エドガーケーシーのリーディングでも輪廻転生する「実体」を認めていますし、スピリチュアリズムにおいても、類魂として地上に生まれたり守護霊の側に回ったりと、一回きりか転生するかはわかりませんが、「実体」の不滅を前提として説いています。
また、デラヴィ氏は言います。
【抜粋】
(★)「5次元世界を理解するためにはまず、ある現代科学のドグマを乗り越えなければなりません。そのドグマとは、『脳が意識を作り出す』という妄想です。脳は、ラジオのような電波の受信機、あるいは端末機のパソコンのようなものにすぎません。」〔脳と意識は因果関係ではなく単なる対応関係〕
さらには、
(✤)「たとえスーパーマンになっても、愛がなければ無に等しい。それは『ラブ』ではなく『アガペー』(スピリチュアル・ラブ、無償の愛)です。人間はハート(心)とヘッド(頭脳)、この2つのHで混乱している。それがいちばんの問題です。愛は頭で理解することはできません。ハートがすべての秘訣を示してくれます。」
【終】

(★)再三言う『唯物論(実在論)』の克服です。
絶対的客観的に「物がある」とか「時間空間がある」という妄想、また、それがはじめに用意されていて、そこからすべてが生み出されすべてが起こるという「自然科学的世界観」の刷り込みを省察することが第一の関門です。
これはまた、我々の意識が、生物の進化で偶然生まれたものではなく、初めからあるものだということを言っています。
(✤)これは地上の〈善〉ではなく、霊的な《善》〔神仏の光、慈悲〕を言っているのです。
陰影を見るのではなく光源の存在を知れということです。

長くなってしまいました。
疲れました。

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