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 [音楽]

ピアノの動画は、今まで幾つか載せましたが、歌の動画は、5年前に『幸福』の中でほんのワンカット載せただけです。
しかし、私にとって歌はよりどころであり、人との交流において絶大な威力を発揮するものとなっています。
幼少の頃は、耳から入ってきた流行歌などを口ずさんでいましたが、高学年になると、人前で歌を歌うなど、恥じらいが先行して、その機会すらなくなりました。
ところが、大学生の頃、世の中にカラオケが普及してからは、人前で歌う習慣ができました。
特に就職してからは頻繁にその機会が生まれました。
もちろん私には音楽の下地があったため、聞いた歌をそのまま再生するのはたやすいことで、そんなに練習しなくても形にはなって、しかも人に受けたりして、愉快に過ごすことができました。
それまでお互い知っていた人たちも、私が歌を歌うと、私の対する見方や扱いが、ガラッと変わるなどということがしばしばありましたし、今でもあります。
そうは言っても、プロの歌手とは格段の差があるのは確かです。
正式に習ったことがあるのでわかります。
技術的な問題だけではない何かが違うのです。
私の歌は、
「場末の店で歌えばたいがいは褒められるけど、商品にはならない」
というレベルです。
「自分で作詞や作曲をしたら?」
と言われることがありますけど、それほどの才能や意識はありません。
それに、どんなジャンルでも、もう出尽くしてしまって、新しい曲に「良いもの」はないと思うのです。
それで、歌うのも古い歌ばかりなのです。

今回、友人2人を連れて地元の店に行った時の私の歌を幾つか紹介します。

『山の人気者』〔1934年〕
https://photos.app.goo.gl/f8L8TKk3wmNokmWV6
昨年の春、ウイリー沖山の動画を視て、ヨーデルを練習しました。
最初のうちは、「表・裏・表・裏」の4番目の裏が出なくて、悩みましたが、2カ月ぐらい経つと、なんとか出来るようになりました。
でも練習していないと、すぐに「裏」の方の音程が上がらなくなります。
今回の出来はというと、後半のヨーデルの所でやはり走ってしまいました。
もっと余裕を持って、「聞きながら」歌うべきでしょうね。
もう1曲『スイスの娘』も歌ったのですが、走りすぎて酷い出来だったため、載せませんでした。
機会があれば、いつか撮り直して載せます。

『La maragueña』〔19世紀〕
https://photos.app.goo.gl/gTpnEWGH4QrYH3As8
7年ぐらい前からよく歌っています。
もちろん、トリオ・ロス・パンチョスのバージョンです。
しかし、少し力んで急いでしまいました。
1か所間違えましたが、何とかなったという感じです。
終わった後、女性の店員から、
「スパニッシュですか?」
と聞かれ、
「はい、スパニッシュです」
「まあ、こんなの歌う人いないでしょうね」
と答えると、店員さんが、
「歌えないですよ」
と即答しました。

『And I Love So』〔1973年 Perry Como〕
https://photos.app.goo.gl/jLAwnKPCpqFR34vd6
30年ほど前にライブハウスで何度か歌いました。
私の願望成就を装う(pretend)歌です。
出来はまあまあです。
出だしで拍手した人は、78歳の男性で、他の客が演歌ばかり歌う中、英語の歌だけを歌う人です。

『Oh My Papa』〔1954年 Eddie Fisher〕
https://photos.app.goo.gl/E9LTFAztDqmoYFzR9
4年前に動画を視て、3日で覚えました。
正統派クラシックの発声の練習も兼ねて、度々歌っています。
亡き父に敬意を込めて。
完璧ではありませんが、うまく歌えた方でしょう。

『ロザリオの島』〔1964年 春日八郎〕
https://photos.app.goo.gl/jL8UgMuqMNdPRNNt5
最初の方で、店員さんにスマホを倒されてしまい、カバーが閉じて、以後画面が真っ暗になってしまいました。
この歌は、昨年動画で知った歌で、気に入ったのですぐ覚えて、すぐにある店で歌ったところ、そこに居合わせた客から、
「いいねえ~」
と称賛され、店長から、
「これ伊藤久男の歌ですか?」
と尋ねられ、
「いえ、春日八郎です」
と答えました。
当歌手にしては時代が後の方なので、古い人でも知らない人が多いのかもしれません。
でも、春日ファンの間では4位ぐらいの高評価なのです。
やはり良い歌はわかるのでしょうね。
出来はというと、全体的には良いと思いますが、不遜にも音程が不安定で上がりきらない箇所があったので、そこが課題として残りました。

ここに掲げた歌はみな、今の私の境遇や心境を表しています。
それにしても、撮り直して、なぜもっと完璧な動画を載せないのかと思われるかもしれません。
それは、当ブログはあくまで「思考や行動の反省」を促す場だということです。
人間の弱さを知るためでもあります。
それによって、私自身もいろいろな意味で成長できるのです。
完璧な動画なら、プロの歌手の動画でいいわけですから。
今回わかったことは、
「力むと時間の感覚が伸びる」
「だから客観的には短くなる」
ということ。
いつかも言ったように、大けがをした時など、危機が迫ると、1秒が3秒ぐらいに感じるなんてことがあると思いますが、それと同じことでしょう。
ともあれ、人に聞かせるということがいかに難しいか痛感します。

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 [美術]

5年ぐらい前まであった【絵のホームページ】が、契約の変更を機に見られなくなりました。
問い合わせたところ、はじめから作り直さないとダメだということで、そうしようとも思ったのですけど、ここ10年は新しい絵を制作していないので、思いとどまりました。
〔⁂5年以上前から当ブログを知っている人はスルーしてください〕

30年前、私は副業として、いやできれば転業して出版関係の絵(イラスト)を描こうと思って、清藤先生のもとで勉強していましたが、今やCGやAIにとって代わられ、アニメを除いて、手描きの絵はほとんど商品価値がなくなったように思われます。

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20年以上前、50件程の出版社に作品を送りました。
3件ほど反応があり、
「将来一緒に仕事をしましょう」
と言ってくれた出版社(金の星社)もありましたが、実現には至りませんでした。
仕事になったのは、教育関係の出版社(明治図書)の表紙に使われた2作と、手製の絵ハガキ1枚だけです。

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『イソクズガニ』は、油壷で捕獲した個体を撮影してから、茹でて食べた時に、片方の足をもいだので、そのときの構図を配色を変えて、アクリル絵の具で描いたものなのです。
「なんでこんな絵が採用されるのだろう?」
「他にもっと自信作があるのに」
なんて思ったものです。

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『地球の変遷と生物の進化』はJICの卒業制作です。
原画はA1判の大きい絵です。
時間と労力は費やしましたが、自分の意思で描いた作品ではないので戸惑いました。

そういえば、清藤先生がよく言っていたのを思い出しました。
「出版社は、力の入った(力んだ)作品は絶対に採用しないからね」
「手慣れたタッチで力の入っていない作品を選ぶんだよ」

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『オオミズアオ』は昆虫少年のロマンとして、気軽に描いたものです。
自分でハガキに印刷して、1枚100円で、友人の知り合いの美術雑貨店に並べてもらって売れました。(1枚しかないけど)
そのとき同じ店で、著作『本物の思考力』も1冊売れました。(1冊しかないけど)
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★次回予定の『歌』もそうですけれど、克服すべきは〈力み〉なのでしょうね。

その他、過去の作品を幾つか紹介します。

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